職業欄
あまりにも身体が辛いので、ほぼ2年ぶりで整体に行った。
そこで書いた問診票に、おそらく社会人になって初めて
『職業欄』に何も書かなかった。
・・・そしたら施術を受ける間もそのあとも
何だかとっても楽で”ただのFreya”でいられた感じだった。
不思議なものだ。
仕事がidentityの一部の方もきっと多いだろうが、
私にとってはidentityの一部(構成要素)ではなかったのだろう、とも思う。
ただ、この仕事が、私という人間を大きく成長させてくれたことは
確信している。
ありがとう。
あまりにも身体が辛いので、ほぼ2年ぶりで整体に行った。
そこで書いた問診票に、おそらく社会人になって初めて
『職業欄』に何も書かなかった。
・・・そしたら施術を受ける間もそのあとも
何だかとっても楽で”ただのFreya”でいられた感じだった。
不思議なものだ。
仕事がidentityの一部の方もきっと多いだろうが、
私にとってはidentityの一部(構成要素)ではなかったのだろう、とも思う。
ただ、この仕事が、私という人間を大きく成長させてくれたことは
確信している。
ありがとう。
私のおかれた状況のみでいえば、昨年のほうが
ひどい状況だったと思う。
その昨年よりも今年、時間がたてばたつほど悩みが深くなってきた。
(結論は自分の中で用意されている)
なぜこうも悩みが深くなったのか。
おそらく震災をきっかけにして、なのだろうと昨日気づく。
今の私の二者択一の悩みは、言ってみれば
「将来に備えるか」
「そのために今を犠牲にすることになる。今を大切にするべきでは…」
ようは「未来か今か」の選択。
震災をとおして、そして厳密には震災をきっかけに
数年前に自分の育った家を火事でなくしたこと(そこの住人は
故人になったあとだったので人命の被害はなし。
でも私にとっては、大切な人たちと一緒に、
その人たちの温もりを感じるものたちの一切を
失った経験だった)も思いだした。
それからだ。あれこれ今の自分のしている意味、意義を
自分で問いだしたのは。
昨日、私がとても慕っている懐かしい知人に会った。
その人の二言三言が、今の私を後押ししてくれた。
何が起こるかわからない未来を憂うのならば、
金銭的なものよりも、精神面を豊かにしたい。
何が起こるかわからない未来を憂うよりも
今、この一瞬、一瞬を大切にしたい。
この一瞬、一瞬を大切に生ききりたい。
どんな自分であれ
何をしている自分であれ
今の自分を好きになること
今の自分の悩みの根源は
それなんだと気付いた。
つい先日草間彌生の番組を観た(録画しておいたものを観たのだが、肝心の最後がメモリの問題で欠けていた。・・・が、今の私にはそれで良かったのだろう、と思っている)。
そのあと、たまたま職場で取り組んでいたことを契機に、コラージュ作品(というよりは療法的)を2つ作った。
それから少し悶々として
持っていた草間の画集をじっくりと眺めた。
そんな作業をしているうちに、自分の中の「悶々」が少しわかった気がする。
私の中にあるのは「何もないことへの恐怖」ではないか。
私のコラージュ作品は、ものすごく強迫的である。
”専門家”が見れば「過度に強迫的な人格」とでも評するに違いない。
草間の作品も作品を作っていく過程も強迫的である。
だが、草間の「強迫」と私の「強迫」は何かが決定的に異なる・・・
そこがずっと気になっていた。
ここからは私の勝手な考え。
草間の「強迫」は自分の中に自分の手に負えないほど”何か”があって、それらを出しきるために、ほとばしるように湧き出てくる何かを出す矛先として、作品を描き、描き続けるのではないだろうか…。
一方、私の場合。
「何もない」ことが怖く、何もない空間を許すことができず、それを埋めるために、強迫的に埋める。だがいつまで経っても納得できず、それを打ち消す、もしくは作り直すかのように、その上に、重ね、重ね・・・自分の着地点を探す。
私には、本当に何もないのかもしれない。自分の生い立ちを考えれば、それは正しい理屈のような気がする。
でも、ひょっとしたら、意外にも意外にも何かがあるのかもしれない。
「描きたい衝動があるのにもかかわらず、描けない」ことをある年齢(中学生?高校生?)から長年続けてきた私。それはそれで非常に苦しかった(今の「悶々」もそれ)
私に「何か」はあるのだろうか。
それとも、一方で私が惹かれる「無の境地」、ようは何もない状態を、自分とし受け入れ、生きていくことが、私なのか。
決断、決定したわけではないけれど、
いつでも”その日”を迎えても良いように、
職場の片づけを始めた。
一種のハラスメントに悩まされていたちょうど一年前から
片づけをしよう…と思っていたけれど、
一年前からついこの間までは、
どうしても、どうしても
気持ちの上で追いつかず、
片付けは進まなかった。
昨年は、過去に「頑張った」証を目にすると
涙が出て、作業が進まなくなっていたけれど
この春は、もうそういう涙は出なくなった。
「あきらめて」とか「絶望して」とかではまったくなく
たぶんとてもいい意味で、その手の涙は出なくなった。
(夜、子どもを寝かしつけながら、”それとは違う”涙はとめどなく出たけれど)
ずっと手をつけられなかった、専門分野の本にも
手をつけられるようになった。
手をつけられるようになったら、面白いほどに
大抵の本は手放せることに気づく。
20年近く付き合ってきた専門分野。
手放すとは言え、それなりに愛着のある本たち。
(この本たちに私は本当に助けられてきたから)
ただ捨てるのではなく、有効利用してもらえたら嬉しいと
心から思うが、どこで使ってもらえるだろうか・・・?
今日は雨模様。
昨日の今日だからちょっぴりしんみりしてしまうけれど、
私にとっては浄化の雨。
とても心地いい。
阿木燿子さんの言葉
「私ね、そういうものの考え方が、40代50代になると顔に出ると思うんです。
性悪説で人を疑って生きてきた人、お金とかモノにしか価値をおかないできた人は、ゆとりのない硬い顔になるし、神様などの目に見えないものや、性善説を信じて生きてきた人は、春の光のようなやわらかい表情になるだろうなって。顔ってお手入れ以上のものですよね。」
私が昔から憧れるのは観音様のお顔。…自分の心が穏やかに休まるだけでなく、こんな表情を浮かべられるようになったら…と、お顔を拝見するたびに思う。
(雑誌で見つけた言葉…たぶん松任谷由美さんの言葉)
「機嫌がいい女になりなさい」
これは、よく私が女子から相談を受けて言うセリフ。
自分のまわりを良い環境にしたいなら、
自分が機嫌よくいることが大切。
家庭でも職場でも同じこと。
そうは言っても、誰でも日々の中で落ち込むことはある。
ただ、そんな時こそ、女性には機嫌よくいてほしい。
自分の悪いオーラをふりまいてはダメ。
落ちている時こそ、自分を高めるためにふんばってほしい。
人の感情は、連鎖反応を起こし、まわりの空気をも変える。
暗い闇に逃げたくなったら、
何事もなかったように、思いきり笑えば、なんとかなる。
下はオチビさん(1歳)のくしゃくしゃの笑顔。
しばらく笑っていないぞ~私!
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