歌う姿から伝わってきたもの(メモ)
笑顔
素直
挑戦
可愛らしさ
大きさ
キラキラしている
温かさ
心地よさ
包まれている
なでられている
力強さ
芯の太さ
前向き
明るさ
人への好意的な在りよう
深み
包容力
・・・以上メモ
笑顔
素直
挑戦
可愛らしさ
大きさ
キラキラしている
温かさ
心地よさ
包まれている
なでられている
力強さ
芯の太さ
前向き
明るさ
人への好意的な在りよう
深み
包容力
・・・以上メモ
臨床を進んでやらないことへの後ろめたさをずっと私は背負っていたのだと思う。
このことも、とある出来事を契機に「(人がどう思い、どう評価しようとも)あぁ、私は後ろめたさを背負っている必要はないのだ」と心から思うことができるようになった。
私はたぶん、ものすごく臨床が好きなのである。それは”とある契機”となったとある人とのやり取りを通して(”素敵”なやり取りではない・・・)気づかされただけでなく、これまでずっと”とある人たち”に対して感じ続けていた違和感から気づかされたことも合わせ、自分の中で強く確信できたのである。
繰り返しになるが、たぶんものすごく好きなのである。
ひとたび引き受ければ、自分自身をも自分のプライベート(子供、家族)をも犠牲にしてまで、熱くなり、熱心にのめりこむことが自分でわかっている。だからこそ、いつまでになるかはわからないけれども、自分の中で厳しくセーブしているのだと。
神田橋先生がある著書で「子育てで長くブランクがあった人が臨床を再開した時、それまでブランクなく実践や研修をやってきた人たちよりも、抜群のセンスを身につけている」ということをおっしゃっている。この言葉を子供が生まれる前から自分の中で大事にお守りにしている。
周囲がどう思おうと、自分がそういう人間になってしまうわけではない。所詮、その人たちは私が大切にしている信念など知らないのだし、私からもわざわざ知らせることでもないと思っている。(伝わる人には、わざわざ説明などしなくても伝わるものだろうし、反対に伝わらない人には、どんなに言葉や努力をつくして伝えようとしても、それもまた難しいものなのではないだろうか)
誰でもない、自分が大切にしていればよい。
・・・以上覚書。
いくつかの出来事が引き金となり、ずっと自分の中で封印していた自分の根底にあるかなしみに気づくことになった。
”封印”というよりは、整理されたもしくは克服したと思い込んでいたのだが、それはまったく違っていてただ”封印”していただけだったのだ。
それに気付かされてから1時間は涙が止まらなかったし、それから後も何か心に触れるものがあるたびに涙が出てくるし、根底にぽっかりと寂しさを感じる。
しばらく前から、自分の中で行っていたワークがあった。それはとても心地いいものだったし、これまで出会ってきたどのワークよりも自分が必要としているワークのように感じていた。・・・が、どうしても根本の部分で、自分に当てはまらない、合わないと、身体感覚で感じるものがあったのだが、それが何なのかわかるようでいてわからなかった。
それが今回の”きづき”のおかげですーっとわかった気がする。
「~たらいい子ね」「~たらあなたを認めるわよ」というのを”条件付きの愛”と言うが、私にはこの「条件付きの愛」ですらなかったのだ・・・と。
「~たら」の条件がついても、私が認められ、受け入れられることはなかったのだ。
今の段階で言えることは、大切なのは「気づいていること」なのだと思う。
封印し続けても、自分でもわからずに(無意識的に)ふりまわされるだけである。
気づくことのできた今、ようやく私は振り回されることから解放されるのだ・・・と安堵感に包まれている。
容易にどうにかなるものではないし、これと「闘おう」とすることが新たな苦しみを生むことはわかっているので、しばらくはじたばたもせず、ただ流れにまかせながら「気づいて」いようと思う。
「あなたがつまらないと思っていると、つまらないものが見える。楽しいと思っていると、楽しいものが見える」(パット・パルマー 『楽しもう』より)
今日は楽しむぞ~と決めて一日過ごしてみたら、何てことはないことがとても楽しいだけではなく、不思議なタイミングで思いがけない素敵なことが重ねて起こって、本当に楽しい一日になった。
心がけって不思議なものだと思う。
下の写真は、お気に入りの近所の喫茶&服&雑貨のお店で、息子君が気に入って自らテーブルに運び並べたもの。私にはすっかり”クリスマス・プレゼント”になり、素敵な気分になったので思わずカメラでパシリ。
「そろそろクリスマス・ツリーの飾りを足すかな・・・(始めはほんの少しからスタートして、毎年少しずつ増やすのを楽しみにしている)」と思っていたら、久しぶりに立ち寄ったお店はクリスマス一色になっていました。息子君セレクションのうちから特に息子君が気に入った3つを選んで我が家へ連れて帰りました。
「浄化の涙」を書いた後も、あれこれと一山二山、越えるべき波(じゃなくて、山・・・か)がありましたが、ようやく・・・本当にようやく自分らしい笑顔が戻ったような気がします。
やっぱり笑っていなければ自分ではないな~と、本当の意味で笑えなくなったここ数カ月を経験したからこそ思います。
「~べき」って、自分に負荷をかけるからあまりいいものではないけれど、私にとって「笑顔」はやっぱりある”べき”ものなんだな・・・
なかなか笑えなかった期間の分をも発散すべく、ころころころころたくさん笑うぞ~と心に決めた次第であります。
・・・一方、この期間に学べたこと、気づかされたこともたくさんありました。言語化できるようになったら、できるようになった順番に書き連ねていけたらいいな、と思います。
思えば、この春に復職してから以来ずっとはまっていた負のスパイラル。
昨日と今日でようやく・・・本当にようやく抜けられそうな実感を持てた。
きっかけは上長からのとあるメールで、その返事を書いているうちに、この半年以上(いや・・・産休・育休に入る前からだったかもしれない)抱えてきた諸々の気持ち、感情が噴き出すように湧いてきて、とめどなく涙が流れ始めた。
子育てをするようになってから、(特に仕事のことに関して)涙は決して子供の前では見せまい、と決めていたのだけれど、昨日は、それすらも吹き飛び、涙がとにかくあふれてあふれて仕方がなかった。
息子君は、最近、ペットボトルの代わりに持ち歩いている水筒がとても気になっている。昨日は昼間持ち歩くために用意した水筒が、家で飲もうと卓袱台の上に置いてあったのだが、それをコップに注いでは飲む、ということを楽しそうに始めた。そしてそのうち、涙を流している私に、お茶を注いで「ハイ!」と差し出してくれた。
「ありがとう」と受け取って飲むと、また注いで(注ぐときはお手伝いしますが)、また「ハイ!」と笑顔でくれた。それを何度も何度も繰り返す息子君。
1歳9カ月の子供でもこんな思いやりを示すのか・・・と感激し、それがさらに流れる涙に拍車をかけた。
でも、一人で涙するのではなく、こんな小さくて大きい思いやりに触れたからだろうか。
いい涙だった・・・と直後に心から思えた。
始終子供の前でメソメソする母ではいけないと思うけれど、「一切泣くまい」と決めて、我慢してイライラ不機嫌であったり、上の空であったりするよりは、ときには(本当にときにはだけれど)泣いたっていいんだな~とも思えた。
そして今日一日を過ごしてみて、これまでの「悶々」の原因がわかったような気がしたし、それを打開するきっかけや方法が具体的につかめたような気がした。
細かくは(恥ずかしいし、笑)ここには書かないけれど、私はずっと仕事に対して、能力はとても足りないので、そこを人柄(自分で言うのもヘンだけれど、笑)の部分をとっても努力して、それで補って、でずっとやってきた(それに応えてくださる方々、そこを評価してくださる方々がいらして、だからこそ私の能力からすれば釣り合わないほどの職歴があるのだと思うし、今があるのだと思う)。それが、この半年ちょっと、その「人柄」が実に「イヤ」なヤツになっていた(それも自分で言って笑えるのだけれど、自分でも自覚はあったので、よく「性格悪~」と自分に突っ込んではいた)。そして、その代わりに「能力」で勝負(?)しようとしていたのだが、それが諸々の負のスパイラルを生んでいたのだな・・・それは公にとどまらず、私にまで及んでいたのだな・・・ということに、ようやく気づけたのだ。とても頑なになっていたのだけれど、頑なに守るほど実は何も守るものなく、ただ大きな変化に対して戸惑いを持っていただけだったのだということにも気がつけた。
浄化の涙・・・だったな。ずっとずっとのしかかるように両肩にあった”何か”もこれを書いている今、なくなっていて肩が久方ぶりに軽い。
きっかけを作ってくれた上長には心から感謝します(上記のこととはまったく無関係の内容だったので、こんなところで感謝されても「へ?」とおっしゃりそうですが、笑)。
文化の日に誕生日を迎えた主人へのプレゼントにと、ジャズライブに出かけました。
このライブのことは、いずれ書けたらいいな・・・と思っていますが、思いがけず入間の航空ショーを演奏会会場のロビーから堪能することができました。
確か昨年は天候が悪かったように記憶しているのですが、今日はとにかく青い青い空。
ビルの5階からの眺めは、都心では考えられないほど目の間にさえぎるものはなく、こちらの方に越してきて初めてこんなにしっかりと航空ショーの様子を眺めることができました。
ふだん持ち歩いているデジカメが手元になく、とっさに携帯で撮りました。
そのため画像は鮮明ではないのですが、青い空と飛行機の様子が何となく撮れたので、記念にアップしておきます。
こうとわかっていたら、お家でお留守番だった乗り物大好きの息子君も連れてきてあげたかったな~。



以前はよく出かけていた神社。しばらくの間出かけていなかったことに気づいて久しぶりに足を伸ばした。
境内は七五三を祝う家族連れやお宮参りの家族連れなどで賑わっていた。
ふと目をやると、皆気づかないで通り過ぎてしまいそうな草むらの一隅に紫色の可愛らしいお花を発見。
誰にも気づかれないところに咲いているから、かえってその花が気になったのかもしれない。
写真に撮って、家に帰ってきてから調べてみた。
おそらくお花の名前はサフラン。アヤメ科クロッカス属 球根類。
原産地は地中海沿岸から小アジア。
にょきにょきとのびた赤い雄しべが印象的。この雄しべには鎮静、鎮咳、強壮作用があり、薬用にされるほか、香料や染料にも使われるとのこと。
花言葉は「快楽」(以上、浜田豊 著 『花の名前』 日東書院 および 鈴木路子 監修 『季節の花図鑑』 日本文芸社 参照)
きっと神社の方が、さりげなく球根を植えていたのだと思う。この神社が好きなのは、さりげないところにさりげなく、様々なお花を植えてあったり、自生して咲いていたりするところにあるのだろうな・・・と、この紫色のお花を眺めながらあらためて思った。
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