Friday, 13 November 2009

浄化の涙

思えば、この春に復職してから以来ずっとはまっていた負のスパイラル。

昨日と今日でようやく・・・本当にようやく抜けられそうな実感を持てた。

きっかけは上長からのとあるメールで、その返事を書いているうちに、この半年以上(いや・・・産休・育休に入る前からだったかもしれない)抱えてきた諸々の気持ち、感情が噴き出すように湧いてきて、とめどなく涙が流れ始めた。

子育てをするようになってから、(特に仕事のことに関して)涙は決して子供の前では見せまい、と決めていたのだけれど、昨日は、それすらも吹き飛び、涙がとにかくあふれてあふれて仕方がなかった。

息子君は、最近、ペットボトルの代わりに持ち歩いている水筒がとても気になっている。昨日は昼間持ち歩くために用意した水筒が、家で飲もうと卓袱台の上に置いてあったのだが、それをコップに注いでは飲む、ということを楽しそうに始めた。そしてそのうち、涙を流している私に、お茶を注いで「ハイ!」と差し出してくれた。

「ありがとう」と受け取って飲むと、また注いで(注ぐときはお手伝いしますが)、また「ハイ!」と笑顔でくれた。それを何度も何度も繰り返す息子君。

1歳9カ月の子供でもこんな思いやりを示すのか・・・と感激し、それがさらに流れる涙に拍車をかけた。

でも、一人で涙するのではなく、こんな小さくて大きい思いやりに触れたからだろうか。

いい涙だった・・・と直後に心から思えた。

始終子供の前でメソメソする母ではいけないと思うけれど、「一切泣くまい」と決めて、我慢してイライラ不機嫌であったり、上の空であったりするよりは、ときには(本当にときにはだけれど)泣いたっていいんだな~とも思えた。

そして今日一日を過ごしてみて、これまでの「悶々」の原因がわかったような気がしたし、それを打開するきっかけや方法が具体的につかめたような気がした。

細かくは(恥ずかしいし、笑)ここには書かないけれど、私はずっと仕事に対して、能力はとても足りないので、そこを人柄(自分で言うのもヘンだけれど、笑)の部分をとっても努力して、それで補って、でずっとやってきた(それに応えてくださる方々、そこを評価してくださる方々がいらして、だからこそ私の能力からすれば釣り合わないほどの職歴があるのだと思うし、今があるのだと思う)。それが、この半年ちょっと、その「人柄」が実に「イヤ」なヤツになっていた(それも自分で言って笑えるのだけれど、自分でも自覚はあったので、よく「性格悪~」と自分に突っ込んではいた)。そして、その代わりに「能力」で勝負(?)しようとしていたのだが、それが諸々の負のスパイラルを生んでいたのだな・・・それは公にとどまらず、私にまで及んでいたのだな・・・ということに、ようやく気づけたのだ。とても頑なになっていたのだけれど、頑なに守るほど実は何も守るものなく、ただ大きな変化に対して戸惑いを持っていただけだったのだということにも気がつけた。

浄化の涙・・・だったな。ずっとずっとのしかかるように両肩にあった”何か”もこれを書いている今、なくなっていて肩が久方ぶりに軽い。

きっかけを作ってくれた上長には心から感謝します(上記のこととはまったく無関係の内容だったので、こんなところで感謝されても「へ?」とおっしゃりそうですが、笑)。

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Tuesday, 03 November 2009

晴れた空に

文化の日に誕生日を迎えた主人へのプレゼントにと、ジャズライブに出かけました。

このライブのことは、いずれ書けたらいいな・・・と思っていますが、思いがけず入間の航空ショーを演奏会会場のロビーから堪能することができました。

確か昨年は天候が悪かったように記憶しているのですが、今日はとにかく青い青い空。

ビルの5階からの眺めは、都心では考えられないほど目の間にさえぎるものはなく、こちらの方に越してきて初めてこんなにしっかりと航空ショーの様子を眺めることができました。

ふだん持ち歩いているデジカメが手元になく、とっさに携帯で撮りました。

そのため画像は鮮明ではないのですが、青い空と飛行機の様子が何となく撮れたので、記念にアップしておきます。

こうとわかっていたら、お家でお留守番だった乗り物大好きの息子君も連れてきてあげたかったな~。

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Monday, 02 November 2009

一隅に咲く花

以前はよく出かけていた神社。しばらくの間出かけていなかったことに気づいて久しぶりに足を伸ばした。

境内は七五三を祝う家族連れやお宮参りの家族連れなどで賑わっていた。

ふと目をやると、皆気づかないで通り過ぎてしまいそうな草むらの一隅に紫色の可愛らしいお花を発見。

誰にも気づかれないところに咲いているから、かえってその花が気になったのかもしれない。

写真に撮って、家に帰ってきてから調べてみた。

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おそらくお花の名前はサフラン。アヤメ科クロッカス属 球根類。

原産地は地中海沿岸から小アジア。

にょきにょきとのびた赤い雄しべが印象的。この雄しべには鎮静、鎮咳、強壮作用があり、薬用にされるほか、香料や染料にも使われるとのこと。

花言葉は「快楽」(以上、浜田豊 著 『花の名前』 日東書院 および 鈴木路子 監修 『季節の花図鑑』 日本文芸社 参照)

きっと神社の方が、さりげなく球根を植えていたのだと思う。この神社が好きなのは、さりげないところにさりげなく、様々なお花を植えてあったり、自生して咲いていたりするところにあるのだろうな・・・と、この紫色のお花を眺めながらあらためて思った。

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Tuesday, 13 October 2009

”引き算”

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今の私の課題は何をすることなのだろう・・・とずっと探ってきたのだけれど、今日ふとわかったような気がする。

がんばらないこと。

肩の力を抜くこと。

ゆったりとしたペースで一つひとつを楽しむこと。

毎日の日常の当たり前のこと、なーんてことはないことにも、楽しみを見出すこと。反対に「あぁ、何だかタイヘンそうだな・・・」ということも、やはり楽しむこと(肩の力をぬいて、がんばらないこと)。

ずっと「何かやるべきなのでは」という”足し算”で考えてきたのだけれど、実はまったく反対で、いかにひいていくか、という”引き算”になるのだな~。別になくてもいいこと、けずれることを削っていき、そこここにできた小さな余白。できた余白をまた別のもので埋めようとするのではなく、身を任せて余白をゆったりと楽しむということ、かな^^

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Sunday, 11 October 2009

トカピちゃん

真っ青な秋晴れの気持ちのよい日曜日、ふだん息子君とのお散歩コースの一つになっている近所の公園(+文化施設)で、秋祭りがありました。世の中は連休なのだけれど、私は12日は普段通りの勤務日なので、2日分楽しもう!と、のんびりまったりゆったり過ごしてきました。

さて、そこで出会ったのが、こんなかわいい子。

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この子との出会い方は、実に私らしいです(笑)。このお祭りでは野外コンサートも行っていて、合唱を聴いたり、オペラを聴いたり、そしてフラメンコを観たりしていたら、とてもセンスの素敵なお姉さんが私(と息子君)の後ろに立っていました。特に、胸にぶら下がっていた「子」がとても素敵で、気になって気になって、ジロジロみていたんです(笑)。しばらくしてお姉さんはいなくなりました(たぶん、どこかの出店の方だだろうな~。そして胸にぶら下がっていたものはそこの商品だろうな~と思いました)。息子君は、ネムタ君(眠くなった息子君をこう呼んでいます)なので、フラメンコが終わった時点で、帰ることにしたのですが、でも、やっぱりさきほどの素敵なお姉さん(とその”子”)が気になります。

出会えたらラッキー、出会えなかったらそれはそれでいいや~と、気楽な気持ちでふらふらと歩いていると、どこからか素敵な音色が・・・ 「もしや!」とその音色の出所に近づきますが、人気があって近づけません。「じゃあ、いいか・・・」と思ったときに、突然私が近づけるくらいのスペースが空いたのです。近寄ってみたると・・・いらっしゃいました!!! 先ほどのお姉さんも、そしてあのかわいい「子」も!

トカピという小さなオカリナです。

ネムタ君でぐずりはじめた息子君に、お姉さんが、胸にぶら下げていたトカピを演奏してくれました。優しくそれでいてとても澄んだ、今日の青空にぴったりの音色。息子君も静かになったけれど、私の方がもっと引き込まれてしまいました。お姉さんの演奏が終わったところで「私でも吹けるようになりますか?」と尋ねると、メリーさんの羊くらいだったら一日で吹けるようになるとのこと。

子どもの時に大好きだったリコーダーの音色にも近いちっちゃなオカリナの音。子どもたちのためにも、何か音を聴かせてあげたいな・・・と思っていた私にもこれならできそうな感じ。

陶器製で、またその一つひとつが音色が少しずつ違うので、展示してあったものすべてを私に吹かせてくれました。その中で一番気に行った音のトカピちゃんが、我が家に仲間入りしました。

トカピちゃんに惚れたのは音色だけではなくて、その姿。実はアクセサリー代わりに普段からぶら下げて歩こう(もちろん、仕事にも!ちょっとした商売道具のつもり、笑)というのが、私の本当の心づもりです。

早速、私の胸に、トカピちゃんがぶら下がっています。

ちなみに、息子君も興味津津。穴を押さえてあげて渡すと、綺麗な音を出します。誰にでも、そしてどこでもで楽しめる優しい音色の楽器です。

ホームページをのぞいたら、リンクフリーです!とあったので、リンクも載せておきますね。

工房 KURAISHI

ほかにも素敵な出会い(主に花器やら植物やらですが)があった、素敵な休日となりました。すべての出会いに感謝!ありがとう^^

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Friday, 09 October 2009

ちょっとした発見

先日、ひょんな拍子に気づいたこと。

「あぁ、ぼ~っとすればいいんだぁ~!」

何の話かというと、病院で、最後の会計の際に、ちょっとした小さなハプニング(というほどのことでもないのだが、ほかにあてはまる言葉もないので)があった。

風邪気味、疲れ気味もあって、ぼ~っとしていた私。ぼんやりとそこで、職員の方の話をきいて、でもそのままぼんやり。そうしているうちにようやく出た一言。「そうしたらどうしたらいいですか・・・?」すると、職員の方は、丁寧に「ではこうしてください」と、私のぼんやりした頭でも「こうあったら一番楽だし、ありがたいな~ でも状況から考えてちょっと勝手かな・・・」と思っていた対応策を出してくれた。

「そうか~!私はもっとぼ~っとしていていいんだぁ!」 子供を見ながら、待っていてくれた主人のところに行きつくなり、唐突に話した私。「そうだけど、何を今頃になって?」と尋ねる主人(冷静すぎるんですけれど・・・笑。「そうだけど」って・・・)。

もう少し、周囲に甘えられるようになりたいな・・・でもどうやったら甘えられるのかなぁ・・・と最近とみに思っていたのだけれど、ここで一つ、自分の甘えべたに関係しているある癖に気づいたような気がするのだ。

私の頭は、自分で言うのもヘンだけれど、まぁ始終よく回転している方だと思う。

だから、たとえば、先ほどのような場面にであうと、私の方が先に気を回して、「解決策」や「対応策」をさっさと考え、私から提示してしまう。でも、こういうやりかたって、実はあんまりよい感じには転ばないことが多くて、逆に相手が戸惑ってしまったり、人によってはむっとされてしまったりすることも少なくない。相手がそうなると、私もムッとしたり、イライラしたり悲しくなったり・・・ 結果としてその「解決策」「対応策」に落ち着いても、何だか自分もあまり気分が楽ではない。

くるくるくるくるいらぬ回転はとめておき、ぼんやり突っ立って、そして「どうしたらいいですか?」って尋ねて(甘えて)みると、こうやって人が助けてくれるのね! これは楽だし、ありがたいし、嬉しいわ~♪ということに、初めて気づいたのだ。

あたりまえのことなのでしょうけれどね。

でもこういう発見は嬉しいです。♪

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ポジティヴ~のすすめ

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ここ数カ月の私、とにかくネガティヴ~ネガティヴ~になっていていけない(笑)。思考は頑張ってストップさせても、出てくる言葉が、ネガティヴ~ネガティブ~でいけない(笑)。

「これはいかんこっちゃ!!!」と、じゃあ、ポジティヴになるのはどうしたらいいかと、じたばたしてみるけれど、自分の中のある癖に気づく。「ネガティヴからポジティヴになるには、それなりに納得する理屈が必要だ!」「そりゃ、ポジティヴになればいいことはわかっている。そんなに簡単にできるものなら、してみるよ。でも、そうなるには、ポジティヴになれるための理屈が必要なのよ!」というもの・・・(笑)

それこそまさに”非合理的な信念”ではないの!とふと先ほど気づいて、思わずふき出してしまった。(たとえば、<なぜそこに理由が必要なのか?(アルバート・エリス風に)>と尋ねられれば、私の場合、「あるようで、・・・ないかも・・・です」というのが答え)

見かけによらず(?)、そして、自分でも自覚が足りないのだけれど、すぐ「理屈・・・理屈・・・」で解決方法を探ってしまう私。先日建築士の叔父が自身について同じようなようなことを言っていて、「あぁ、これは血筋の癖なのだ・・・ なおさら気をつけなければいけない」と、そこは”納得”(笑)したところなのだが、それでいてなかなか理屈でどうにかしようとする癖から抜け出すのは難しい・・・(そこにもまた理屈が必要で・・・笑)

そこで、ここのところのネガティヴ~ネガティヴ~から抜け出すには、まずはここの記事をポジティヴ日記にしてみたらどうだろうか・・・と自分で思った。

心模様とうらはらでも、むしろ裏腹な時こそ、書いてみるポジティヴな内容。”理屈”や”筋”がつながらないと気に食わなかったり、バカをいくらつけても足りないくらいのバカ正直な私には、一番の関門のような気がするが、だからこそやってみる意味があるのかもしれない。

※写真は、我が息子君(1歳児)がコスモス畑で撮った、ゲイジュツ作品。なかなかのセンスに感銘を受けたオヤバカな私。

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Thursday, 08 October 2009

苦闘の意味と待つこと

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「人生は苦闘の連続だが、もし苦闘しなければ、私たちは本来の強さを発揮することができなくなる」(アレクサンダー・ロックハート著『自分を磨く方法』より)

もう何年も前に手に取り、手元にある本だけれども、ふと手にとって開いた箇所にあった一節。

はっとした。

夏に講演を聴く機会のあった、阪大総長で臨床哲学者の鷲田清一先生のお話されていたこととも重ね合わせて、ここしばらく自分が陥っていた負のスパイラル(?)がなぜ起こるのかに気づくことができたように思う。

鷲田先生によると、現代の社会、現代の人々は待つことのできない社会、人々だという。これは、私も鷲田先生のお話をうかがうまえから感じていたことで、本当にそうだ・・・と心から思った。

が、気づけば、自分自身もまた待てない人間になっていた・・・

苦悩、苦闘している人がいる。その人に「こうすればいいじゃない?」と言う。私から見れば「こうすれば」その苦闘、苦悩からとっとと抜けられるのに・・・と思えるのだが、その人は、”その中”にい続け、苦闘をしている。・・・その姿を見ているうちに、いらいらしたり、「なぜこうしないのだろう・・・?」と、せっかちに思っている自分がいるのだ。

冒頭の言葉によれば、苦闘をするからこそ、強くなれるのだし、苦闘にも意味があり、苦闘している姿を、待つ姿勢で眺めたり、共にいたりすることに意味があるのだ・・・私はいつの間にか、「苦闘はとっとと退治しなければ!」という信念につきまとわれていたような気がする。

しばらく前に、その苦闘している人の一人に「強いね。私はそんなに強くなれない」と言われ、かちん・・・(恥)ときてしまったことがあった(私は私で弱っていたから・・・)。確かに自分が生きてきた中で苦闘の連続だった時間の方が長く、だから、その人にはない類の強さが、私にはあるのかもしれない。

なるほど・・・と何かがストンと自分の中に降りて行ったような気がする。---台風一過の青空が窓から良く見えます。

※写真は、誕生日に夫がプレゼントしてくれた花束。私のイメージ(?)らしい(笑)

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Tuesday, 06 October 2009

連休での課題

とうに過ぎ去ったシルバーウィークでの、私が自分に課した課題は「捨てるものを挙げること」

これをするにあたって、「すべきこと」リストを作ってみたら、いやぁ・・・すごいことになりました。のんびり屋の私のことだから、まぁ大した量もできていないくせに、要領悪くてアップアップなのか・・・とずっと思っていたのですが、こうして挙げてみたら、こんなにもたくさんのことに日々格闘していたのか・・・。ちょっと自分に自信(?)を持ちました。

これでは「やりたいこと」を加える余地すらない・・・

なおさら、潔く「捨てるもの」「捨てること」を選ばなければ、特に今の私の置かれている状況では、一番に大事にしたいものがかえって犠牲になってしまいそう・・・

で、そのあと「捨てるもの」を決めたのだけれど、いざ捨てるときになると往生際悪く、ちょっとのつもりで手をつけたら、こういうときにすることってどれもこれも裏目に出るもの。・・・つい先ほど、ようやく悟りました。「あぁ、さよならすべきタイミングなのかな」と。

捨てるものたち、さようなら・・・でも、今までありがとう!

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Sunday, 04 October 2009

誕生の日に・・・

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気づけば、一つ年をとりました。

実はこの記事を書く前に、あれこれと私の中の”本音”を書いていたのですが、突然パソコンがあれこれ動き出し、その書きかけの記事はあっという間にきれいに消えてしまいました。

かなり、ネガティブな表現があったので、「そんなこと書くではない」というメッセージだったのかもしれません(笑)

ということですので、先に書いていた内容は再度は書かず、誕生日を迎えて誓った気持ちだけ書いておこうと思います。

何かと騒がしく、慌ただしく、落ち着かない世の中だけれど、自分の大事にしたいものを大切に、自分のペースを大事に過ごしていきたいと思います。

しばらく前から勉強も兼ねて通っている整体ヨガの先生にも先日「自分のペースを大事にゆったりと過ごしてくださいね」と言われました。「これ以上、自分のペースを大事にしたら、社会生活が成り立たなくなるかもしれません」と返したら、くすっと笑われましたが、「それでもいいのだ・・・」と今は思えるようになりました。

※写真は、誕生日の日、息子君とのんびりお散歩をしていたら、ひょいっと見つけて私に「はい!」とくれた柿。鳥さんの食べかけだけれど、あまりにも素敵な贈り物に、家に持って帰って玄関にちょこんと飾りました。

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