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Sunday, 27 November 2005

秩父-二度桜

nidosakura

nidosakura-kanban

ずっと行きたがっていたものの、体調が悪くて行けなかったのですが、ようやく今日行ってきました!
秩父へ^^

紅葉を楽しみつつ、札所と呼ばれるところをまわっていました(秩父夜祭りが開催される来週が、紅葉は見頃かな。きっと)。

この小旅行、まわったのは数時間で、本当に「小旅行」だったけれども、いい時間を過ごすことができたように思います。
思いはまだ言葉にならないので、ここ何回か分けて、「思い」や「感じたこと」を綴っていきたいと思います。

写真は、二度桜。以前、日高の「十月桜」をアップしたけれど、それと同じもの?違うもの?
この時期にこんなに見事に咲いているのは、本当に初めて観ました。
神社仏閣の近くで出会うことが多いのは、偶々でしょうか・・・?

今回の二度桜には、下の写真のような言葉が添えてありました。

この言葉にも温かさを感じ、心がまた少し楽になりました。
そして、この寒空に、こんなに凛と、しかし可憐に咲いている桜の姿に、大きな勇気をもらったような気がします。

明日から、とびっきりの笑顔で過ごしたいな。

Thursday, 24 November 2005

momiji


「来てくれてありがとう。今度は、あなたを抱き、泣き声を聴きたいからね。待ってるからね。」

昨日、供養をしました。名前は手術の時に、ふっと浮かんだものがあって、「かなちゃん」に。私たちの望みを「叶え」てくれたから。ずっと、かなちゃんと向きあってお話しすることもできず、お話をしようともせず、迎えた昨日。ようやくお話をすることができたかな。お経を読んでもらいながら、焼香をする間に私がつぶやいていたのは冒頭の言葉。
何を感ずることもなく、何を思うこともなく、仕事に没頭していたこの間、ふと「私は異常なのではないか・・・」と思っていました。
読経の中、気づくと冒頭の言葉が浮かんでいて、何だか、ふっと気がゆるんでしまいました。

手をふりほどいて、道路をたーっと横切って走っていってしまったり(車があわてて止まる)、建設中の家の梁によじ登って、危ないのにてくてく歩いたりというとんでもなく元気のいい女の子の夢を見たんですね。きっとかなちゃんのことかな・・・って思います。だから、今もこれからも元気に飛び回っていて欲しいな・・・って思いました。私が変な病気で苦しめちゃったからね・・・。
因みに前の子は「べけちゃん」で、優しい、ちょっとおとなしめな男の子です。優しい静かな男の子と、どこまでも飛んでいってしまう、女の子・・・何か、どこかの家庭のようですが・・・。

「乳をふくんでもらうことも、抱いてもらうことも、(自分の)声をきいてもらうこともなく、行くところも留まるところもない」。

供養のお経の中でこのようなくだりがありました。悲しいのは親ばかりでない。子も悲しいのだ。いや子の方が悲しいのだ。そう、だから、これからも、かなちゃんを大事に想うことが我々には必要なのだ。そう思いました。

住職さんから教えてもらいました。
霊にとって、香りが食(じき)である。
できれば、香木の根っこを削って作った、本物のお香を焚いた方がよい。
好きな香り、特に母親が好む香りを焚くのもよい。

神社でも寺でもいいから、日々の信仰が大事である。
心を高くすること。
人に必要なのは誠実であること。

大層なことはしようと思ったってできないし、そもそもそんな大層な人間じゃない。
いつも自分を見失えば見失うほど、「大層なこと」をしなくちゃと焦り始めるけれど、違うよね。
大切なのは、想いを大事にすること。
毎日、ちょっとの心がけでいいからそれを続けること。そう、大きなことである必要はないけれど、「続けること」が大事。

この住職さん自身が、嘘をつかれた話、だまされてしまった話などもしてくださいました。そんな住職さん自身が、訪れた人を大切に思う「誠実な人」だな・・・思うことができ、よい一日を過ごすことが出来ました。

#下の3枚の写真は鎌北湖。この写真の出来を見た夫の一言。「実物よりも何倍も綺麗」。上手に写せたかな・・・?上の紅葉は、いつも行く神社の紅葉。

kamakitako

kamakitako-turi

kamakita-yama

Saturday, 19 November 2005

空(くう)

taiyou

sora


数値がまた少し上がりました。今は、これからさらに上がっていって、抗ガン剤の必要が出てくるかどうかの瀬戸際だそうです。
やっぱりなかなか手強い病気ですね。油断は禁物ということでしょうか。

今日の空(そら)はすばらしかったです。

ここ数日、「空(くう)」と「無」が気になっています。

職場の同僚と、先週話していて、「一番の煩悩とは、どんどん考えることだ」という親鸞の言葉を教えてもらい、なるほど・・・と思って以来のこと。

それから、禅の本や、十牛全図などを眺めています(あっ、親鸞聖人は浄土真宗の人ですよ。念のため)。
「空」と「無」については、何となく感覚的には理解できるような気がしてきたのですが、まだうまくここには書けません。今、ここに無理に文章にしようとすると、自分が「空」や「無」とは正反対の在り方にどんどんなっていきそうです。

ただ、今日、真っ青な空、雲一つない空をぽかんと眺めてみたら、頭がぽや~っとしてきて、眉間の皺が消えていき、笑みが自然と浮かんできました。
とにかく気持ちよかった。ひたすら気持ちよかった。

まずはこんなことから始めてみるといいのかな。
今日味わったこの感覚を大事にするといいのかな。

Friday, 18 November 2005

わらべ地蔵

pic_0303


ご無沙汰してしまいました。

あれこれ考えるのにくたびれてしまったのか、脳は停止状態。働いては寝、働いては寝、と過ごしておりました。

良いのかまずいのか、最近、「てんねんに磨きがかかった」と評判(?)です。
今日は、授業が終わった後、学生に質問を受け、「じゃあ、後は歩きながら・・・」と、次の授業に備えて、研究室方面へ向かおうとしたら、「先生!かばん!」と学生が。私は、講義バッグというのを持ち歩いていて、その中に授業に必要な物を入れて歩いているのですが、それをまるごと教室に置いていくところでした。何をしに戻るんだか・・・。「最近、てんねんに磨きがかかったと言われるのよね・・・」と、その学生に言ったら、「ゆったりと過ごしていらっしゃるんですね」と穏やかに微笑まれながら言われました。

さて、一日の仕事を終え、今日は即病院へ。
病院帰りに病院の近くのしゃぶしゃぶ屋で夕食を食べました。最近、職場に行くとノンストップで動いているからか、お昼ご飯を食べそびれてしまいます。そのためか、ものすごい勢いでお肉と野菜を食べ、満腹(^~^)~^)~^)^~^)゛  お腹いっぱいになるとすぐ眠くなる私は、食事を終えてから、ご機嫌&眠いなぁと思いながら、トイレへ。そしたら、目に飛び込んでくる物があって、びっくりしました。 「ご来店、おめでとうございます」と書いてあるではありませんか。(;° ロ°) でも、何だか嬉しい気分。ってそんな訳ないよと、目をこらしてもう一度よく見たら、「ご来店、ありがとうございます」でした。
おめでたいのは私の頭です¢(`=`)_ρ

そんな状態なので、今日も寝ます。

今回の写真は、mayoからのプレゼント。
行く先々でお願いもしてくれたそうです。
(これを読んでくれている皆さんの「祈り」もどこかで感じることができました。ほんとです^^ 不思議ですね。そして、有難い限りです)

上の写真は大原三千院のお庭にいるわらべ地蔵だとか。「外国人が持って帰りたい!」と思う、人気のお地蔵さんだそうです。私、京都には何度も行ったことあるのですが、大原三千院はまだ行ったことないんですよね。

写真をはっと見て、お地蔵さんが何かを私に語りかけてくれて、自然にほほえみかけていました。

一目で気に入ってしまったので、mayoにお願いしたら、O.K.もらったので、アップします^^

「子どもはみんなほとけの子 子どもは天からの授かりもの 子どもは親の心を映す鏡」

これは、別のわらべ地蔵のところに書いてある言葉だそうです。もらった写真のお地蔵さんについて、調べていて見つけました。
今の心境を私はまだうまく表現することができないのですが、何かを祈っているこのお地蔵さんの微笑みと、この言葉で、ほろり・・・じわり・・・と来ました。

Mayoありがとう。

下の写真は京都の紅葉。こんなに真っ赤なんですね^^

pic_0307


#はじめて「日を遡ってアップする」機能を使ってみました。できたみたいです!こちゃさん^^

Friday, 11 November 2005

十月桜

# この記事、昨日のものなんですが、アップする前に寝てしまいました。
日をさかのぼってアップする機能が見つけられないので、このままアップします。
昨日の夜のものとして読んでいただけると嬉しいです。

jyugatusakura


神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れて来る
金をためたら、慈善をするという人は、ためるお金に限度がないから、なかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情けは人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。

さくらばな
  のどかに
   におう
春の野に
  蝶もきて
まうそでの
  うえかな

身も進み財宝も出来て立身出世する事は春の 暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にてよき人の引立にあずかります けれど心正しくないと災いがあります

願望:首尾よく叶うしかし油断すれば破れる
病気:なおる 信神が大事
         (4回目の大吉)


今朝、主治医が電話が出る。主治医:「○○さんですか?」姫「はい、そうです」主治医「おめでとうございます」
はぁ????何か私、表彰されるようなことした?

ほんとのことです。ほんとにそう思いました。医者に「おめでとう」と言われ、「表彰」なんて思ってしまうのは、悲しき職業病か・・・

検査結果、最悪の事態はとりあえず免れました。とりあえず、今の段階は・・・ですが。
今回の悪さのもとの数値、火曜日の段階ではとんでもない数値だったのですが(医者も残念そうな顔をしていました)、何と今回はかなり下がっていたんです。
手術はもう一度だけあります。明日一日仕事を休んで行ってきます。
後は、数値が異常にあがったりしなければ、半年間のフォローアップ。大学病院&新しい治療は今のところ考えなくていいそうです。

 油断はできませんけれど、少しほっとしました。
明日手術が控えているので、とりあえず報告だけで、今日は寝ます。

#写真は日高に咲いている、「十月桜」です。私も初めて観ました。

Wednesday, 09 November 2005

百舟千舟

 komasora


 神の心に叶って居るか、物も心もつかいよう
授けられる其金(そのかね)、其身体(そのからだ)、其心(そのこころ)、決して無駄に使ってはならぬ。しかし一銭の金でも役立つ使いかたはむづかしい。其手、其足、其言葉、世の為、人の為、役立つ様に使っているか。神の御心に添い、清々しい日々が過ごせるように心がけることが大切である。

風吹けば
  風ふくままに
港よしと
百舟千舟
     うち
つどいつつ

  何事も繁昌して心のままになるけれど心に油断があってはならない
  只今より来年のことをよくよく考えてやりそこなわぬ様十分の注意をしておきなさい


 昨日の気落ちが影響したのか、今日は朝から身体の調子がひどく悪く、目が覚めたときから嘆いていた。
ふと窓の外を見ると、すばらしい晴天。明るい日の光がさしていた。そう言えば、昨日「光を浴びたい」と願って寝たのだったっけ。「そうだ!神社に行ってエネルギーをもらおう!」と思い立ち、出かけた。仕事に行く直前だったので、ゆっくりとは過ごせなかったが、「今を大事にしたいと思います。どうぞ力をお与えください。また、弱り切っている自分が、今日一日どのように過ごしたら良いのかご示唆ください」と願っておみくじをひいた。それが、冒頭の文章。
最近、不思議だなぁと思う。とにかく弱りに弱っているときにおみくじを引くと、神様は「大吉」をくださる。しばらくは偶然かなとも思っていたが、特に気落ちしているここ2日のうちにひいた3つのおみくじはすべて「大吉」。私は、あまり「吉」とか「大吉」とかは見ない方だけれども、何だか今回ばかりは、「ありがとう」と涙が出る思いだ。
 昨日、ブログを書いた後も、「こんな身体である自分は、人に接する、人に教える、人を助ける仕事に携わる資格はない」と、布団で大泣きしていた。朝起きたら目を腫らしていて、そんなのは若いとき以来だ。よっぽど泣いたらしい。
今日も、全く自信はなかった。朝起きたら笑顔でいたい、と昨日ブログに書いたにもかかわらず、朝から涙が出た。人の前に立つ気力もなかったし、身体も布団から起こせないくらい具合が悪かったけれども、大事な約束もあったし、穴をあけて学生たちを不安がらせてしまうのが、今の自分をもっと情けなくさせるので、とにかく「行く」と決めた。
 神社に行って良かったと思う。今の私は、こういう身体だからこそ、無駄にはしないこと、嘆いているのではなく、人の為に使うべきであること、それでいいんだ!と勇気をもらった。お陰で迷わず仕事に行くことができた。
 明日の午前中に、火曜日の検査結果が出るので、今後の治療方針が決まります。良くない場合、明後日は仕事をしている場合ではなくなり、すぐに大学病院に行って、手術&新しい治療開始になります。
最悪の場合の覚悟はできたか・・・というと、ふにゃふにゃしている私はまだだけれども、とりあえず明後日までの覚悟と勇気は出ました。支えてくれている皆さんに感謝^^
 病気にも必ず意味があると言います。自分をのろうだけではなく、治療も含め、治療をしながら人の前に立つことも、きっと意味があるのだろう、と前向きに取り組んでいこうと思います。

Tuesday, 08 November 2005

hikari


神のめぐみの光の中に、生けるこの身のありがたさ
眼をとじて居れば、いつまでも立っても世の中はくらい。眼をあけて見よ、日はさんさんと照り渡っている。心の眼を開いて見よ、神様はそこに居られる。御恵みの御手は其肩にかかって居る。御いつくしみの御光は其からだをつつんで居る。有難い事、尊い事である

                                                                   (11月6日)

生きた親御に御つかえすると同じ思いで神仕え
神様はおなつかしい親さまである。子を慈しむ親心をもって常に側去らず、みまもり助けて居てくださる。されば生きて居らるる親に仕える心持ちで神様を拝み嬉しい時にも、悲しい時にも御話申して御祭りする。そして常にぴったり御一体になって居る事が肝要だ。
     (11月8日・・・今年の年始と全く同じもの)

曇るかがみに姿は見えぬ、みがき上げようそのこころ
曇った鏡に人の姿はうつらぬ。汚れた心に神の御かげはやどらぬ。神様をはなれた心ほどくらく淋しいものはない。凡ての災いはこれから起る。常に心にちりをためない様、はらい給えの神語唱えて、祓い清め、神の御影を心に宿して明るい清い生活を続けましょう。
                                                          (11月8日)


ここまでは、何とか気を張ってやって来ましたが、今日だけは・・・ふにゃふにゃさせてください(泣)。
今日の午前中、病院に行ったのですが、その検査結果は、かなり厳しいものでした。
このタイミングでの本田美奈子さんの訃報は、今日はかなり違って響きます。

私の今回の病気について命は大丈夫だと、医者は言ってくれていますし、私も調べたところ、100%治癒するとの話です。
・・・でも・・・・やはり考えてしまうし、そして、いずれ、誰にでも考える時が来るのだろうと思います。「自分は大丈夫だ」とどこかで思っていたけれど、そういうものではないことを教えられたような気がします。
ちょっと矛盾するのですが、一つ不思議なのは、今回の自分の病気は、いつからか、自分にはそのうちやってくるという覚悟がどこかにあったような気がします。身内を様々な病気で亡くしてきたからなのか、自分にもこのような病気になる可能性があることは、かなり幼いときから覚悟をしていたように思います。だから、今回「あぁ、やっぱりな・・・」とどこか納得している自分がいたりもします。矛盾するんですけどね。迎える覚悟と、いざ迎えたときの恐れや不安は違うものなのでしょうか。

やっぱり弱いものだなぁ・・・。
自分に甘いけれど、今日だけは、弱いままでいます。

眼を覚まして明日の朝になったら、日の光をいっぱい浴びて、守られていることに感謝をしながら、笑顔で過ごしたいと思います。

Saturday, 05 November 2005

愛語

naguriko


無財の七施

一.捨身施・・・心から人に親切にし、世話をよくすること
一.心慮施・・・人の悲しみや苦しみを自分のものとすること
一.和顔施・・・人にはやさしく、ほほえみで接すること
一.慈眼施・・・人をいつくしみ、深い思いやりでみること
一.愛語施・・・人に真心のこもった、よい言葉で語りかけること
一.房捨施・・・人の心にゆとりと喜びを与えること
一.床座施・・・人に席をゆずるように、ゆずり合いの心を持つこと
 
                     -「あったまる禅語」より


今週の月曜日、病院のベッドで考えていたことがあった。いつも笑顔でいられたらいいな・・・と。
今週の水曜日から、仕事がらみでまた心がつぶれそうになっている。
悲しみ、悔しさ、無念、恨み・・・など、どんなにプラスに考えようとしても浮かんでくるのは、マイナスな言葉。これはいけない、自分がどんどん谷底に落っこちてしまう、と、今日、仕事から帰ってきた夫に頼んで、ちょっと大きめの本屋に連れて行ってもらった。
そしたら、こんな言葉が見つかった。「そうだ、そうなの!これなの。私が今欲しいのは、まさにこの心境なの!」と嬉しくなった。
昨日から仕事に復帰し、学生たちと会って、話して、学生たちが待っていてくれているこの環境をありがたい、と心から思った。だからこそ、マイナスな世界にどうしても引きずられたくなくて、じたばたともがいていた。
笑顔でいたい。
温かい言葉を使っていたい。
こんな心持ちで人に接したい。
ようやく出会えた。大事にしよう。

写真は名栗湖の夕日(夫が撮影)

Thursday, 03 November 2005

幸福

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今日は夫の誕生日。幼い頃、「何故、誕生日はこんなに嬉しい日なのに、一年に一日しかないんだろう・・・」と本気で悩み、親にあきられたっけ。そんな話は余談だが、確かに今日は一年に一回しか巡って来ない日。
特別な思いで神社に行くと、七五三を祝う家族の姿がたくさんあった。

あれこれ悩み続けていた。今回のことで、また、職場について、仕事について思い悩んでいたのだ。
10年勤め続ければ、きっと何かが変わり、何かが落ち着いているだろう。だから、「今」は、願いは静かに抱き、大事にしたいことを心をこめて大事にし、日々穏やかに暮らすこと。それが、今の苦悩や苦境から脱することのできる方法なのではないだろうか。
「過去を追うことなかれ 未来を念うことなかれ」というお釈迦様の言葉の通り、くよくよしても変えることのできない過去のことや、どうなるかは誰も分からない未来のことを思い煩ったところで、苦しいだけ、悩みが悩みとして少しも変わらずただあるだけ。
願いを強く心に持ち続けることは大切ではある。しかし、私はかなり間違った方向に向かっていた。「何が何でも手に入れなければいけない。今すぐにでも」と念が強すぎて、不安にかられ、焦りを感じながら、追われるように強迫的に何かをすること。私はずっとそんな生き方をしてきた。それが、昨年秋、破綻した。
これからの10年にはもうそれは必要ないんだよ。そんな言葉が出てきた。
そうは言っても人間は弱い。きっと不安に襲われる時があるだろう。その時は、身は委ね、心と体は力を抜き、揺りかごの中で揺られているかのような心持ちで、穏やかに微笑んでいればよい。そして、今目の前にあること、それを何も心配せず、淡々とこなしていればいいんだよ。怖いことは起きないよ。悪いことも起きないよ。それが、今のあなたがやることなんだよ。

確かに何か大きな特別なことが起こるのは嬉しい。私はずっと勘違いしていた。「何か特別なこと」「今まで手に入らなかった物が手に入ったこと」それが、数多くあること、続くことが「幸せ」なのだとずっとずっと思いこんでいた。しかし、それは大きな間違いであった。それが私を苦しめていたことにも気づかずに。

今、平穏無事でいること。それが一番幸せなことではないか。

だから、平穏無事で過ごせたことが何よりもありがたいことであり、平穏無事で過ごせたことに感謝ができること。その生活を続けられることが、「幸せ」なのではないのだろうか。
・・・ようやく気づいた。気づいたら、肩の荷がふっと降りたような気がした。あぁ、ようやく安心して力が抜ける。

「当たり前じゃない」。また人に笑われそうだ。
そんなことがふっと頭に浮かんだ後にひいたおみくじ。まさに今の自分に語りかけてくださったような言葉で、正直驚いた。
「ぱっと明かりで消え行くような、花火信仰じゃたよりない
苦しい時にはやれ神様と騒ぎ立てる。嬉しい時にはそれ神様と拝み立てる。が平穏無事の日が続くと、ケロリと忘れて拝みもせぬ。線香花火の様な信仰では駄目である。神様と共にふし、神様と共に起き、永久に変わらぬ信仰、動かぬ信神が大切、無事の御恩を味わい知るべきであろう。」

夫がこの一年間大病もせず、無事過ごせたこと、今日この日を二人揃って迎えることができたことを感謝します。

ashika

Tuesday, 01 November 2005

小休止

IMGP2194

あれこれ頑張ろう、頑張ろうとすることにくたびれてしまったので、小休止。
走り続けるのも大切だけど、空回りしはじめた時こそ、あせってもがいて動きまくるのではなく、むしろ休息をとることの方が大切なのかもしれない。

何かに身をゆだねることも、苦境の時ほど必要なのかもしれない。

写真は、最近、私が気をもらいに行っているご神木。

起きていることには、必ず意味があると言います。
悪い結果のように思えるようなことであっても、そこには必ず意味があり、神様からのメッセージがあると言います。
悪い結果になったと、恨むだけでは、悲しみも癒えないし、自分はただ不幸を感じたまま過ごしていくばかりです。
その意味を考え、では今の自分には何が必要なのか、今までの自分は何を間違っていたのか、または気づかないでいたのか、これから何をしていくべきなのかなどを冷静に考え、より人間的に成長できるよう、その体験から得たことを生かしていくのです-この1週間とちょっと。こんなことを考えていました。

今日の記事の前半は、そうは言っても弱ーい弱い私という人間の弱音・・・でした。

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