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Tuesday, 08 November 2005

hikari


神のめぐみの光の中に、生けるこの身のありがたさ
眼をとじて居れば、いつまでも立っても世の中はくらい。眼をあけて見よ、日はさんさんと照り渡っている。心の眼を開いて見よ、神様はそこに居られる。御恵みの御手は其肩にかかって居る。御いつくしみの御光は其からだをつつんで居る。有難い事、尊い事である

                                                                   (11月6日)

生きた親御に御つかえすると同じ思いで神仕え
神様はおなつかしい親さまである。子を慈しむ親心をもって常に側去らず、みまもり助けて居てくださる。されば生きて居らるる親に仕える心持ちで神様を拝み嬉しい時にも、悲しい時にも御話申して御祭りする。そして常にぴったり御一体になって居る事が肝要だ。
     (11月8日・・・今年の年始と全く同じもの)

曇るかがみに姿は見えぬ、みがき上げようそのこころ
曇った鏡に人の姿はうつらぬ。汚れた心に神の御かげはやどらぬ。神様をはなれた心ほどくらく淋しいものはない。凡ての災いはこれから起る。常に心にちりをためない様、はらい給えの神語唱えて、祓い清め、神の御影を心に宿して明るい清い生活を続けましょう。
                                                          (11月8日)


ここまでは、何とか気を張ってやって来ましたが、今日だけは・・・ふにゃふにゃさせてください(泣)。
今日の午前中、病院に行ったのですが、その検査結果は、かなり厳しいものでした。
このタイミングでの本田美奈子さんの訃報は、今日はかなり違って響きます。

私の今回の病気について命は大丈夫だと、医者は言ってくれていますし、私も調べたところ、100%治癒するとの話です。
・・・でも・・・・やはり考えてしまうし、そして、いずれ、誰にでも考える時が来るのだろうと思います。「自分は大丈夫だ」とどこかで思っていたけれど、そういうものではないことを教えられたような気がします。
ちょっと矛盾するのですが、一つ不思議なのは、今回の自分の病気は、いつからか、自分にはそのうちやってくるという覚悟がどこかにあったような気がします。身内を様々な病気で亡くしてきたからなのか、自分にもこのような病気になる可能性があることは、かなり幼いときから覚悟をしていたように思います。だから、今回「あぁ、やっぱりな・・・」とどこか納得している自分がいたりもします。矛盾するんですけどね。迎える覚悟と、いざ迎えたときの恐れや不安は違うものなのでしょうか。

やっぱり弱いものだなぁ・・・。
自分に甘いけれど、今日だけは、弱いままでいます。

眼を覚まして明日の朝になったら、日の光をいっぱい浴びて、守られていることに感謝をしながら、笑顔で過ごしたいと思います。

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Comments

弱いままでいていい日もあるよ。 そんでいい。 そんでいいの。

>はーくん
思い切り弱っちくしていられる時間もあるほうが、強くもなれるんだな・・・今回はそんなことを思いました。

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