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Sunday, 04 December 2005

自信と傲り

titibujinja

「自信」と「傲り」はどう違うのだろう・・・

今日は久しぶりに日高の神社に行き、もう一つ、武蔵野三十三観音霊場の第二十二番である円照寺に行ってきたのだが、その行程からずっとこのことを考えていた。

寒いので、家に帰り、玉川温泉にしてゆっくりと湯に浸かりながら、さらに考え続けた。

そして自分なりに見つけた解答。

「自信」とは、自分を信じることだが、何かが出来たとき、何かに感謝する気持ちを持つ在り方。
「傲り」とは、何かが出来たとき、それを自分の力のみでできたのだと思い、感謝の気持ちはない。さらに「自分は正しい」 と突き進む(「自分を信じる」のと「自分は正しい」と思うのとは異なるように思うのです)。

「自信はどう育まれるか」について、江原啓之氏によると、「経験」と「人智を超えた大いなる力」の二つの両輪が揃うことが必要なのだそうです。どちらか一方、たとえば「経験」のみだと、今まで自分が経験したことがないことに出会ったとき、途端に「自信」を失ってしまうし、「人智を超えた大いなる力」を信じる敬虔な気持ちがなければ、それは「自信過剰」になってしまうということなのだそうです。

やっと何かをつかみかけていたはずなのに、ここしばらく、自分の在り方、やり方が間違っていると感じていました。でも、何が間違いなのかも分からずに過ごしていました。ようやく迎えた週末の休み、ゆっくり過ごしているうちに、最近の自分の間違いは、「自信」と「傲り」をはき違えていたんだな・・・そんなことに気づき、その違いについて日がな一日考えていたのでした。

#上の写真は秩父神社の境内。下の写真は、秩父の山の景観です。

titibu-yama


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心と体」カテゴリの記事

Comments

姫はよく考えるもんだと感心するよ。 お風呂のなかでも考えているのだものね。 自信や驕りというと本人のことのようでいて、他人に対する感謝の気持ちが違うというのは、確かにそうかもしれないね。 禅の七施(だっけ?)なども、近いことを言っているのかもしれないね。

自分は正しい、というと考えはそこで止まってしまうけど、自分を信じるのは、いつまでも続く運動のようなものなのかもしれないと思った。 そんな違いもあるのかもね。

自信と驕りの違いってよくわかんなぃけど、
俺は自信がなくても自信があるように過ごしてしまうことが多いかな?
案外自分に自信なかったりするんだょね^^
でもさ、それを表に出せば、自分だけじゃなくって周りも不安になってしまうから、
自信満々なふりしちゃったりして^^
でもね、そうやって自分を追い込みながら頑張ってる事は無駄じゃ無いと思ってるけどね。

はーくん

湯船につかっている間は、暇で退屈だからね。

「自分を信じる」と「自分は正しい」似ているようで違うんだよね。
ともするとはき違えそうになる。

つんた、

そうね。
つんたのそれは、やっぱり「自分を信じ」ているんだと私は感じたけれど。

あと、男性では役割上、つんたのような在り方が必要なことってあるのかもしれないね。

たとえば、家でだって、お父さんや夫には心の中は自信なくてもいいから、「どーん」としてて欲しいってときあるものね。
職場でもやっぱりそうだよね。

うわ・・・男って大変!

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