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Monday, 26 December 2005

「聴く」ということ

先週の木曜日、今後、私のスーパーバイズを引き受けてくれるN先生と、いつもよりはゆっくり話す機会があった。

そこで私はとある質問をしたのだが(実際のセッションを研修で見せてもらい、その一場面が私にはすごく気になっていた)、それに対してN先生はこう言った。「えっ??そんなこと(クライエントさんが)言ってたっけ」。私「確かこんなことを・・・」。先生「へぇ、そんなこと聞いたの始めて。面白いところ聞いてるね」。私は「へっ???」と思った。ほめ言葉とはとてもじゃないけれど受け取れなかった。
で、しばし質問を重ねているうちに、自分とN先生の違いは、もしかしてこんなことか・・・と思った。

先生は、クライエントさん(先生は「お客さん」と呼ぶという)の話を「聞いてない」と言う。私は、その後的確な介入をしている先生を見て、「聞いてない(もしくは聴いてない)」はずはない、と考え続けた。で、たぶんこんなことではないか・・・と今の時点では思っている。
おそらく、先生はクライエントさんが、話しているとき、その声、口調、速さ、表情、雰囲気、そしてそこに流れる気持ちなどを「聴いて」いるのだと思う。一方、私は何を聴いているかというと、「話している内容」。細部にこだわりすぎる自分には気づいていたのだが、なるほど!と思った。

私の理解を表現すれば、N先生は「響きを聴いている」のだと思った。

早速、私も練習している。
こうすると、自分の「信念」と相手の「信念」が直接ぶつかりあうこともないので、自分自身も楽に「聴く」ことができる。

Saturday, 24 December 2005

輪郭を硬く-「ちょっと」という言い回しについて

卒論提出無事終わりました~。
卒論生たちもそうかもしれませんが、すっかり脱力してふぬけ状態です。

前回と同じく『不確かさの中を』を読んでいて。

統合失調症(本の中では分裂病)の人と話すときは、「言語を正確に輪郭を硬く使わないといけない」のくだりを読んでなるほどな・・・と思った。神田橋先生はいくつか例をあげているのだけれど、そのうちの一つ。

「ちょっと待って」の「ちょっと」が分からない。

先日、私もある人の対応をしていて、その人は途中からいらいらし始めたんですけど、それが何でか私は分からなかったんですね。
その後、このくだりを読んではっと分かりました。

私もこの人に「ちょっと待って」って言ったんですよね。そのまま待っててもらっていたのだけれど、2,3分して、その人はやってきて、「何分後ですか?」って訊きにきたんですね。私はそのとき、手が離せなかったこともあって、「とにかく待ってて」と言ってしまったのですが、その人はさらにいらいらし始め・・・。
何かがおかしいことは分かっていたけれども、何がおかしいのかそのときは分からなかったんです。
で、この本を読んで「なるほど!こういうことだったのか」と納得したわけです。
念のため、この方を、「だから統合失調症」と言っているわけではないのを、お断りしておきます。

因みに、私にこの思考パターンが見事にあるんですよね。
「ちょっと行ってくる」の「ちょっと」が10分以上になると、とたんにいらいらと不安になりますね。夫がよく言うんですよね。「ちょっと」って。
神田橋先生も言っているけれど、「5分待って」とか「20分待って」とか、きちんと言う必要が出てくるんですね。
私自身、そう言ってもらえる方が安心します。

それが「輪郭を硬く」ということです。

もう少し早く分かっていたら、先ほどのその方にも不快な思いさせなくてすんだのに・・・と申し訳なく思いました。
この場を借りて、ごめんなさい。

そう言えば、たまたま昨日、別の人(韓国人)と、別の文脈で「ちょっと」の話をしていて、日本語はいかにあいまいで難しいかとの話にもなりましたけどね。

何気なく使っている言葉ほど、突き詰めて考えると難しいものですね。


#とある先生(精神科医)に、勇気を出して積極的に申し込んでみたら、個人スーパービジョン(同業の師匠や先輩臨床家に助言をもらうこと)の承諾をもらいました!!もう「若い」とか「新人」とかは通用しませんので、甘えを取り去るのが今回の一番の課題です。「ぼくは潔くくびにするから」とはっきり言われていますし。甘えんぼの私にはそれだけで相当な訓練です。身が引き締まる思い。でも、引き受けてもらえて、それが何よりも嬉しいです。

Wednesday, 21 December 2005

臨床家として-壊れたレンガ

臨床家として、また同業の職人として尊敬し、目標の一人にしている、神田橋條治先生の本を久しぶりに手に取った(神田橋先生は、心理士ではなく、精神科医ですが)。

私はこの先生の著書は、初めて手に取ったときから、あるフレーズについて考え続け、一行の文について考え続け、と読むので、遅々として一向に進まない。今回の本もそうだ(『不確かさの中を」』)。まぁ、でも私はそれが、この先生の本の価値だと思うし、それを楽しんでいるので、進まないことに、むしろ安心感を覚えながら読み進めている。
だから、そこここで「ほぉ・・・」と思いながら読むのだが、その大部分は言葉にまだならない。しかし、とある箇所については、今書き留めておきたいと思った。

著書の中にこうある。「それから10年くらいしてね、こういうことを思いついたの。建物がね、壊れるでしょう。壊れて次の建物を造るときに、その壊れたレンガをできるだけ全部使って新しい建物ができたときが、いちばんいい建物だという考えに到達してね」。

そうか・・・と思った。私は、昨年の休職以来、「臨床家としての自分」の在り方が、分からなくなっていた。雅子様じゃないけれど、それまで自分のやってきたことを否定されるような感覚、師匠からの自立(といったらかっこいいが、まぁいろいろ考えるところがあって・・・)、臨床家への不信や疑問、臨床心理学そのものに対する興味の変化(今、思えば、盲目に信奉していたのが、「本当にそう思えるのか?」と自分で疑問に感じるようになったことなんだと思う)などなどで、「臨床家としての自分」が崩れ、「臨床家としての自分」ということについて、全く語れなくなっていた。語れない自分は今でも続くけれど、5年前に大病をしたときの焦りに比べると、ほとんど今回は焦っていない自分を、むしろ心配していた。(心配していなかったのは、臨床はその役割がくれば、それなりにやれてしまうからかもしれないが・・・)

神田橋先生はロンドンに行ったとき、自分が長いことやってきたことが、パデル先生のスーパービジョンによって、全部がぱーっと崩れ、「何をやってきたんだろう」とショックを受ける連続だったという。精神分析は自分には無理なんじゃないか、そうとも思ったらしい。・・・その体験からずっと考え続け、答えが出たのが10年後というのも、神田橋先生のすごいところというか、私自身、こういうエピソードを聴くと安心してしまうというか。とにかく、そういう体験の意味について、神田橋先生はレンガに例えているのだ。

なるほど、こういうことだったのか・・・と思った。復職してからこの方ずっとあった、胸のつかえが降りたような気がした。


#今日は卒論提出日。たぶん、7名全員が提出できると思います^^ 私のスパルタによくくっついてきました!こちらこそありがとね(って、卒論生がこのブログを見ることはないと思いますが・・・見ていたらどうしよ・・・(;^_^A アセアセ…)


##アフィリエイトとやらに、遅ればせながら挑戦してみました!

Wednesday, 14 December 2005

提出期限へ

相変わらず、いろいろなことを考えたり感じたりして過ごしていますが、しかしですね、もう卒業論文に忙殺されています!通常の業務(講義)も会議も、3年生以下の学生の対応もしつつ、合間の時間は、自宅でも休日でも卒業論文の指導や添削。平日は、夕方になって、頭がまったく働かなくなって、「そう言えばお昼食べてないや・・・」と気づく始末。今日は冷え切ってて、麺と麺がくっついて離れない焼きそばを食べました。美味しいのに、ここの焼きそば・・・( ・_;)( ;_;)( ;_;)(>0<)
頭は完全に研究&執筆モードですね。かなりどっかの世界に行ってしまっています・・・。
講義を受けている2年生から「いつものテンポと全然違う」とも言われましたけど、テンポって・・・?速いってこと?とろいってこと?ん??いつもは?

提出まで、あと1週間!
過去にいたーい失敗を抱えている私としては、この期限は何としても厳守せねばなのです。

先週は体力的についていかないと嘆いていましたが、精神力でカバーしてきたのに、とうとうそれもがたがきたか、今週は頭もへろへろです。
残るは気力か・・・乗り切るしかない! 頑張ります。くじけてる場合じゃないですよね。

Sunday, 11 December 2005

自信喪失・・・

昨日、髪の毛のカットに表参道に行ってきました。
もう、この美容室に決めて、通い始めて8年目になるかな。
何で、埼玉の西に住んでいて、髪の毛切りにわざわざ表参道まで行くのか。
昔、勤めていたんですよね。表参道にあるクリニックに。その時に、紹介してもらったところに今でも通っているんです。担当の美容師さんが、自分の思い描いていたイメージ+私にもこなせるように工夫をしてカットしてくれるからです。
美容室は浮気することが多かった私にしてはすごく珍しいことですね。
私、今、サイドと後ろをかなり軽くしてもらっているロングなのですけど(1年ちょっと前からこの髪型。その頃の宇多田ヒカルの髪型が気に入って、そうしてもらったんです)、しばらく前から、ショートにしたくて仕方がないんですよね。今、通っている美容室に始めて行ったとき、記念すべき(?)ショートにしたんですよ。でもそこからずっと伸ばして今はロングです。もう、ロングが長くて、そろそろ短くしたくなったんですよね。
雑誌を見て、なりたいイメージは決まったんですが、結局、今回はロングを保ちつつ、イメチェンだけしました。もう少し遊ぼうと思って。

「かわいい」っていうイメージにしてもらった「はず」なんですけどぉ・・・。ノーコメント。
美容師さんが言うには、「今までは”クール”のイメージでしたけど・・・」と。
「・・・」が気になるんですけど。

それにしても、半年ぶりに表参道に行ったら、「へ???」と我が目を疑いました。駅構内が様変わりしているんです。それはもう別の駅です。私、いつものごとく、ぼーっとしながら電車を降りて、階段を上ってきたので、違う駅に降りたかと本当に思いました。すごくいろいろなお店が出来ているんですよね。女性がたくさんいました。地上への出口の階段も変わっていて、いつも使ってきたはずの出口も分からない・・・(後で、美容師さんに教えてもらったのは、私がいつも使っている出口は閉鎖中だったそうです)。しかたがないので、でたらめに上ったら、「あれ?ここどこ?」と今度は地上で方向を見失いました。右を向いたらいいのか、左を向いたらいいのか。方向を見失うというのはこういうことを言うんだな~って思いました。2、3分止まって、頭を冷静にしたら、ようやく方向を理解し、歩き始めたら今度は・・・。美容室があったビルが変わっている!!!「へ???」。もう何度目の「へ?」だろ。あまりにも変わってしまっているので、「美容室も移動してたらどうしよ?私これから先」と、意味不明なことを悩みかけましたが、あきらめずに、昔の記憶を頼りに向かったら、エレベーターだけは、変わらずありましたよぉ!そうしてようやく美容室にたどり着いた次第です。

表参道は通勤してたから、かなり自信を持っていた「はず」なのに、あーあ、すっかり自信喪失・・・。

Saturday, 10 December 2005

認知の歪み

昨日、学生の言葉にはっとした。
「今、先生たち、みんな疲れてます。○○先生なんてやせちゃいましたよ。」

卒論提出まで2週間をきったため、今、追い込みです。追い込みをかけるのは、学生たちだけではなくて、教員もです。
学生に追い込みをかけ、そして、学生の追い込みにこちらもついていかなければいけませんから、とにかく体力勝負です。
しかし、20代前半の学生についていくのは、並大抵ではないです。
というか、ついていけません。
体力は毛頭ないので、精神力でカバーします。
・ ・・へとへとです。

最近、周りの先生たちが、機嫌悪い人多いな・・・自分、何か怒らしたかしらと密かに気にしていたのですが、機嫌が悪いのではなくて、疲れていたのですね。

こういう受け取り方の問題のことを、「認知の歪み」と呼びます。
この「認知の歪み」に注目して、セラピーで、歪みを適応的なものに修正していく療法を「認知療法」といいます。

人のは気づくことはできるのに、自分も知らず知らずのうちにやっているものですね。

ちなみに、同じ学生によると、私は(一番?)元気だそうです。

でも肌荒れが・・・。


Tuesday, 06 December 2005

一葉

hitoha


人っていいな・・・そんな言葉が口から出てきました。

私は小さい頃、寂しく、悲しく、苦しい思いをすることが多く育ったので、人の愛情を欲する気持ち、人はこう在るべきだと要求する気持ち、人から与えてもらうことばかりを期待する気持ち、もっとあるけれども、そんな気持ちでいっぱいの状態で過ごしていました。

寂しい気持ち、満たされない気持ち、傷ついた気持ち、人への失望と怒り・・・自分がそんな気持ちを味わうのは、人が悪いんだ、環境が悪いんだ、自分は何て不幸なんだろう、人なんか大嫌い、私は一人で頑張るの!とばかり思っていました。

30年以上もそう過ごしてきて、なのに、最近、自分がちょっと違うことに気づき始めたのです。

人っていいな・・・。

どうしてそう感じるようになったのかしら・・・?

先週のように気持ちが乱れて、全く反対の気持ちに襲われることもあるけれど(それは「悪魔」の仕業なので、引きずられないように・・・と本に書かれていたのを見かけましたが)、「いいな」と感じることのできる時間が、何年か前に比べて、格段に増えたなぁと思うのです。

そんなことに気づいて、また、一人で微笑んでしまいました。

皆さんに感謝^^

Sunday, 04 December 2005

自信と傲り

titibujinja

「自信」と「傲り」はどう違うのだろう・・・

今日は久しぶりに日高の神社に行き、もう一つ、武蔵野三十三観音霊場の第二十二番である円照寺に行ってきたのだが、その行程からずっとこのことを考えていた。

寒いので、家に帰り、玉川温泉にしてゆっくりと湯に浸かりながら、さらに考え続けた。

そして自分なりに見つけた解答。

「自信」とは、自分を信じることだが、何かが出来たとき、何かに感謝する気持ちを持つ在り方。
「傲り」とは、何かが出来たとき、それを自分の力のみでできたのだと思い、感謝の気持ちはない。さらに「自分は正しい」 と突き進む(「自分を信じる」のと「自分は正しい」と思うのとは異なるように思うのです)。

「自信はどう育まれるか」について、江原啓之氏によると、「経験」と「人智を超えた大いなる力」の二つの両輪が揃うことが必要なのだそうです。どちらか一方、たとえば「経験」のみだと、今まで自分が経験したことがないことに出会ったとき、途端に「自信」を失ってしまうし、「人智を超えた大いなる力」を信じる敬虔な気持ちがなければ、それは「自信過剰」になってしまうということなのだそうです。

やっと何かをつかみかけていたはずなのに、ここしばらく、自分の在り方、やり方が間違っていると感じていました。でも、何が間違いなのかも分からずに過ごしていました。ようやく迎えた週末の休み、ゆっくり過ごしているうちに、最近の自分の間違いは、「自信」と「傲り」をはき違えていたんだな・・・そんなことに気づき、その違いについて日がな一日考えていたのでした。

#上の写真は秩父神社の境内。下の写真は、秩父の山の景観です。

titibu-yama


Saturday, 03 December 2005

元気猿-見て聞き話そう

genkisaru


genkisaru-kanban

きっかけは何だっただろうか。
この1週間、終えてみたら、すっかり気持ちが弱り切ってしまっていた。

月曜日、風邪で頭が回らなかったことに重なってしまったからなのか、もともと、疲れやら何やらがたまりきっていたことがあるのか、いや、こう書いているともう少し前からのものが重なっていたように思う。
火曜日、具合がひどく悪く、でも都合の良いことに、先方も体調不良でキャンセルになったことから、夕方からのみの約束をこなせば良くなった。
そして、水曜日。たぶん、私にとっての一番の衝撃はこの日に受けたのだと思う。
頼まれごとを学生にされ、30分という時間を彼らに渡したら、・・・あまりにもお粗末なものになったので、私はこの大学に来て、初めて、学生に対してはらわたが煮えくりかえってしまった。そうはいっても気性の激しい私の怒りを、そのまま表に出すと、まわりはとんでもなく困ってしまうのは、誰よりも自分が自覚しているので、「何とか爆発させまい」 とコントロールするのが大変だった。結果として、自分の中では最小限に抑えながら、謝りにきた学生に接したように思うが、でもこのことは、私にとってはかなりきついことだったのだろう。家に帰って、夜眠ったものの、途中で目覚めてしまい、しばらくずっと学生に怒ってしまった場面が頭の中に繰り返し巡った。やっぱり小心者だぁ、私。
この日、もう一つ大きなことがあった。まぁ一言で言うと、「(私の言っていることは)てんで分からないと話してたんですよー」と、学生に面と向かって言われてしまったのだ。私は、頭が良すぎて(???) 、頭としっぽしか言わなくて、その間がすっぽり抜けるから、私の言ってることはさっぱり理解できない。我々(学生たち)の欲しいのは、その間のものなのに。ということらしい。
実は生まれてこの方、この類のことを言われたのは、初めてではない。だから自分でもやはり自覚していることではあるのだが、なぜだか、今回はものすごく大きな衝撃を受けてしまったらしい。このセリフをきく直前まで、論文指導をしていたので、その過程すべてに対して、「あなたの指導も言ってることもまったく分かりませんよ」 と言われた気持ちになってしまったのかもしれない。この後からずっとすっかり元気も気力もなくなってしまった。
私は、実はしゃべることというのがひどく苦手である。人は私がぺらぺらしゃべるのを聴くと、「嘘でしょ?」と思うらしいが、大体私がぺらぺらしゃべる時ほど、緊張して落ち着かなくて口を動かしていることが多い(よっぽど安心したときもしゃべるが、そういう場合は、始めはむしろ話をしないで聞き役になる-安心して話せるかどうか吟味するから・・・やっぱ小心者だわ。私)。自分の思っていることや、感じていることを人に話すということを、小さい頃ほとんどしなかったので(何故か私は、そういうことをするものなんだ、ということをまるっきり知らずに育った。たぶん一人で絵を描いて過ごしていることが多かったからなのかもしれない。小さい頃育った家族-祖父・祖母・叔父-はそれぞれ、一日、アトリエで絵を描いているか、お花の部屋で花を生けているかという環境だったので、音もなく静かでしたね) 、小学校にあがってから、ずっと学生時代は困ったものだった。小学生時代は「緘黙」と心配されたくらい(まぁ、実際そうでした。私、一日自分の声を聴かずに過ごすことが多かったので、自分で自分の声を忘れることが多かったですもの)。そう言えば、大学生のとき、T大生に「何言いたいの?あんた?」 と言われたこともあったことも思い出した。このときもくやしくって、ショックで、部屋を飛び出していって、外のベンチで一人で泣いてたなぁ。今はドイツにいるAちゃんが泣いている私の横にそっと座って、彼女が私のくやしい思いを静かに聴いてくれたっけ。

だから、この職業に就いてこのかた、ずっとずっと私自身が気にしていたことなのかもしれない。講義の前はお腹を壊すほどずっと大変だったから。人に分かるように話すことができない。人に話すことそのものが緊張してしまって苦手だと。
木曜日、引率の仕事で都内へ。同僚たちにすっかりがっかりしてしまった。
金曜日、水曜日のことが大きかったのだろう。仕事に向かう前もひどく身体の具合が悪く、起きあがれない。何とか仕事には行ったけれども、始終「私の話していることは分からないんだ」と気になってしまい、気にすれば気にするほど、授業で何を言っているのか、自分で分からなくなってしまった。ぼろぼろだった。
そして、今(土曜の朝方) 一度夜中に眠ったものの、中途覚醒してしまい、これはだめだ・・・とブログを書き始めた次第。-今に至る。

こう書き出してみて、なるほど!と思う。
一つ一つを、今、字になったものを眺めてみると、それこそ「何言いたいの?あんた?」と言われ泣いていたような昔ならともかく、今の私にとっては、まぁあんまり気にすることではないことの羅列であることに気づきますね(ここまで書いておいて何ですが、強がりでも何でもなく本当にそうです) 。ただ、何かに何かが重なっていくうちに(今回は、子供のことやら身体のことやらで疲弊しきっていたところに、ここにも書かなかった、ちょっとしたことが重なっていって) 、そのうちに、普段は「サラリサラリ」と行ってしまうことたちが、何だか大きな衝撃に感じられ、積もり積もって、心はすっかり弱々しくなってしまった状態だったんですかね。←それこそうまく表現できないけれど。

そっかぁ。そうだったのかぁ。
しかし、ブログって不思議なものだと思う。
いつかブログのことについて、ゆっくり考えてみたいなと思う、今日このごろ。

書いてみたら、かなり楽になりました。
読んでくれて本当にありがとう(o^-^o) (・_・)(._.) 。感謝^^ 

さて、今回の騒動ですっかり筆が止まっていた原稿、書かなくっちゃ!締め切りはとうに過ぎ、延ばしてもらった締め切りが今日の土曜日(でもまず寝る!)

#写真は、秩父神社の「元気猿」。日光の三猿に比べて、まぁ、何て剽軽で元気な顔をしていること!見ているこちらの顔がほころんできました。落ち込んだときほど、このくらいの気迫(?)でやってみるか^^

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