距離のとりかた
本当に順不同で思いだした順にメモです(笑)。
日本倫理思想史を専門にしている友人と、かなりまとまった時間語り合った。
直接の理由は、彼女と共同研究をしよう、という話なのだが、実にさまざまなことを語り合った。
二人で語り合っているうちに、彼女がなぜ「倫理を選んだか」という話に及んだ。
思えば彼女と知り合って、しばらく経つのに、彼女からこの話を聞いたのは初めてだと思う。
私の中には、つい最近もふたたび浮上してきている「なぜ自分は生まれてきたか」「自分は何のために生まれてきたか」という問いがあるのだが、彼女の中には「自分はなぜ人(ヒト)に生まれてきたか」という問いが、気づいた時にはもうあったのだと言う。
そんな彼女が持つ視点は広く、深く、彼女との対話の中で、いつも私は大きくさせてもらって帰ってくる感じがする。
メモをしておきたいことはいくつもあるのだが、そのうちの一つ、興味深かったこと。
私はその他の同業と比較して、事例との距離のもちかたが異なるのだと言う。
他の同業の話を聴いていると、最後まで自分が携わって、「こうしたら、こう良くなりました」という報告が多いように感じるのに対して、私は、「こうなったらいい・・・」と願いながら、事例を対象化し、距離をとっているのだと言う。
あるところから先は相手に任せ、私は祈っている・・・そういうスタンスをとっているのだそうだ。
彼女の口から「祈っている」という言葉が出た瞬間、私は涙が出そうになった。
どんな涙なのかはわからないけれど、自分の心の奥深いところに響いてくる、そして私という人間やその生い立ちまでをも、気づいている、知っている・・・そんな気持ちにすらなるひとことだったのかもしれない。









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