お世話になった先生が今月亡くなった。
「徳」とはなんぞや・・・と考えさせられる先生だった。
まだ若かった私が、若気の至りもあって、
何やら熱心に申し上げたことがあった(何だったかは忘れてしまったが)。
先生は、穏やかな笑みを浮かべたまま、じっと私を見、ただ静かにそこに居らしたのだった。
当時の私には理解できなかったけれど、
今、こうして先生を偲んでいると、
先生がそうしていらした意味が少しわかるような気がする。
「自分の中に答えがあるよ」
「自分と静かに対話してごらんなさい」
「焦らないで、
慌てないで、
急がないで・・・」
そんなコトバを静かに感じる。
思えば不思議な先生だった。
私が、プレッシャーに押しつぶされそうになって、パンクしかかったときのこと。
(そう言えば、それは9年前の今頃だった)
父の助言で、お休みの連絡のために、先生に電話をかけた。
「お仕事を休ませてください」
こう私が言っただけで
電話口の向こうの先生は、
「働き過ぎたよね」
「頑張り屋だから頑張りすぎたのでしょう」
「心配しないで、今は少し休みなさい」
とおっしゃってくださったのだ。
普段の私の働きぶりなど、先生はそうみてはいらっしゃらなかったはずなのに・・・
その先生のそのお声かけがなかったら、
過言ではなく、私はその後、今に至るまで、
この仕事を続けることはできなかっただろうし、
夫とも、ましてや子供とも出会えなかったのではとすら思う。
身近でお付き合いした時間は非常に短かったけれども
時間に比して、想い出は数多くある。
(スウェーデンで、「お土産にキャビアを買っていきたい。どこに売ってるかな?」とおっしゃる先生をお連れして、スウェーデン語もわからず、かといって英語も通じない街中で、必死でキャビアを探し歩いたこと、
アメリカでの研修をご一緒したときのこと、帰りの飛行機が離陸後第4エンジンが燃え始め、30分旋回後、緊急着陸をしたことなど・・・)
実は変な話、先生が亡くなっても、
今までと変わらない気がしている。
いや、むしろ、何だか今までよりももっと身近で
見守ってくださっている感じがする。
しばらく前の記事に正岡子規の言葉を載せたが
先生は、まさに「勉強家、沈黙家、謙遜家」の全てが
当てはまる、そういう方だった。
先生への想いは、まだまだたくさんあって、
長くなりそうだ。
今日はこの辺で止めておこうと思う。
※写真:ぐずる子供を抱っこして、自宅裏の河原をお散歩したら、こんな夕陽に出会った。子供と二人で見る夕陽はこれが初めてだと思う。
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