Sunday, 15 August 2010

故郷

短い期間でしたが、故郷に帰ってきました。

なんてことはない風景をモノクロで撮ってみたら、街の違う側面を見つけた感じでした。

ゼロ歳の下の子は、この風景を30分は楽しそうに眺めていたでしょうか。

このキラキラが楽しいのかしらね。

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Friday, 02 October 2009

コスモス畑にて・・・

この記事の前にアヤシイタイトルの記事が連続していますが、我が息子が入力し、何やらキーを押しアップまでしてくれたものです。親バカな私、削除することができません・・・このまま残しておきますね。

↓今年もコスモス畑に出かけてきました。小さな息子の目線で眺めるコスモス畑は、これまで眺めてきた風景とは全く異なってみえました。

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息子がつんでプレゼントしてくれたコスモス。コスモスが咲き乱れる季節に誕生日を迎える私は、コスモスはお花の中で最も好き。最高のプレゼントです。お花はしおれてしまうので、写真に撮っておきました。

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Thursday, 20 August 2009

ふるさとにて・・・

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高校時代の恩師に十数年ぶりにお会いした。

思えば、複雑な生い立ちで育った私にとって、日本海のそばで過ごした高校3年間(幼い時にも何年間か過ごしているが)は、私の人生に大きな宝物や財産をのこしてくれている・・・と言っても過言ではない。

にもかかわらず、この時期を過ごした大切な家も、ここに在った人々も、今は亡い。

この時期にバカを共に過ごした友人たちとでさえ、メールや年賀状のやりとりがかろうじてあるだけで、やはりかれこれ十数年、または学生時代以来顔を合わせていない。

だから、この夏、恩師と出会ったことは、私がいま、意識できている以上に大きな出来事なのだろう、と思う。

恩師は全く変わっていらっしゃらなかった。本当に変わっていらっしゃらなかった。

私はどこかで、無意識的に、(良くない意味での)変化を恐れていた気がする。

だから、恩師の全く変わらない姿に、ただただ安心し、嬉しくなった。

安心した途端に饒舌になった。

先生との時間はあっと言う間に過ぎて行った。

あっと言う間だったけれども、一目お見かけした瞬間から、私のカラカラになった心にみるみるうちにエネルギーやポジティブな”何か”が満ちていくのが、自分でも感じられた。

(長くなるので、2回または3回に分けて書きたいと思います)

Wednesday, 26 September 2007

曼珠沙華〜巾着田

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今年も行って参りました。巾着田に。
今回は初めて、お花の大好きな夫の両親と一緒に見にいくことができました。

曼珠沙華に寄せる想いは深い。
今年もまたしみじみと眺めてきました。

帰りがけ、義母が「栗ご飯を炊いたの」と包みをくれました。
翌日、包みを開けたら、何とお赤飯でした。
家族の炊いたお赤飯を食べるのは、10数年前、祖母が亡くなって以来だと思います。
普段は倹約していいお米を買わない義母が、
心を込めて魚沼産のお米で炊いてくれたお赤飯。
涙がでるほど有り難く、一口、ひとくちをしみじみした想いでいただきました。

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Saturday, 08 September 2007

式根島への旅

式根島へ向かう海の上。

日の出を観ました。

感無量。

写真はほんの一部です。

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Wednesday, 15 August 2007

日本海の夕陽〜2007夏

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海・・・人が滅びても、物がなくなっても、海だけは昔と変わらない姿のままそこに在る。
日本海が私の母。
そして、人類のみならず、全ての生物の母。

Sunday, 10 December 2006

不思議なこと~秩父夜祭②

昨日の記事の後半です。

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・「いや~びっくりだね。これで、満足して帰られるね」と、さらに方向転換して、駅に向かおうとしたら、また人が集まっている。先ほどの花火のベストスポットなのだが、その時点で22:00過ぎ。「だって、もうお祭りも終わって、花火も終わったでしょう?」と言いつつ、しばらくそこでぼーっとしていたら(混んでいたから前にもスムーズに進めないので、しばしそこで本当にぼーっとしていた)、何と花火が再び始まる。再びベストスポットで花火を眺めることに。

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・花火が終わったので、祭りももう流石に終わりだろうと、「最後の花火も観られて良かったね~」と帰ることにした。私は、そこで綺麗な紅葉が目にとまり、綺麗だし、この日手に入れた、マクロレンズの使い勝手も試してみたかったので、練習がてら、その場で紅葉を撮っていた。
そしたら、「フィナーレの花火です」と放送が入り、びっくり。だってさっき終わったんじゃないの?
そのまま、ベストスポットで、花火のフィナーレを見ることができた。よって秩父の花火大会の見物(みもの)の「黄金の滝」を2回も観ることができた。

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・「わぁ、何かに守られているみたいだね・・・」と話しながら、さて、帰るか・・・と歩いていたら、先ほど入場できなかったところが、規制をといて入られるようになっている。何かと思って入ってみたら、6台のかさほこと山車がずら~と並んでいる風景を観ることができた。
これもこのお祭りの名物なのだとか。

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以上が不思議な出来事です。

何かに守られている感じは私も感じました。
そして、最後の壮大な花火を眺めているとき、「やけをおこさずに、こつこつとやりなさい」と励まされているんだな・・・と感じました。

それまで弱り切っていた私の心は、だいぶ元気を取り戻すことができたように思います。

これを書いている今日は、今度は喉にくる風邪をひき、熱も出しているのですが、この夜祭りの時の体験が大きかったのかな・・・ 先週のような気分の落ち込みは全くなく元気にしています^^

ただ、これだけ立て続けに風邪をひくのは「休みなさい」というメッセージだという気がするので、身体をまずはゆっくり休ませようと思います。

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Saturday, 09 December 2006

不思議なこと~秩父夜祭

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先々週は週の半ばから、胃腸に来る風邪をひいてしまった。

そうしたら、それまで気を張っていたことが、全て緩み、久しぶりに気分まで参ってしまい、すっかり寝込んでしまった。
同じくその週の金曜日に引率の出張があって、それには行ったのだけれど、ちょっと悲しい目にあってしまい、そんなショックも手伝ってか、翌土曜日、そして日曜日の昼まで、また寝込んでしまった。ちょうど今から1週間前の話。

12月3日は、日本三大曳山祭りの一つと言われる秩父夜祭の2日目。
秩父は、私の住んでいるところからは、電車に1時間ほど揺られれば行けるところである。秩父夜祭のすごさは、こちらに越してきたときからあちらこちらから耳にしていた。

お祭りは好きだけれど、人混みが苦手で、しかも寒がりの私は、まだ一度も行ったことがなかった。

風邪の具合悪さも、たぶん身体だけが原因ではないと、自分でも気づいていた。
「こんな気分と体調の時は、普段出かけないところに出かけるのが一番!」と、
沈没→復活→沈没→復活とやってきた今までの経験(?)を踏まえて、万全に暖かくして、何の用意もないまま、秩父へ向かった。

このお祭りに行くには、数日前からの準備が必要なのね・・・
途中から特急に乗ろうとしたら、夕方5時だというのに満席。
帰りの特急券を買おうとしたら、この時点で全て満席。

仕方がないので、鈍行でゆらりゆらりと向かいました。
秩父へ入ってしまえば、どうにかなるだろう、と、実にのんきな夫婦二人。

着いてみてびっくり。秩父の街中が会場になっていて、「見物(みもの)」を見るためには、何時頃どこで何があるのか、あらかじめ調べておかないと、さっぱりわからない。
仕方がないので、普通のお祭りの10倍はあるのではないか、と思われる連なる屋台をうろうろし、まずは満腹に。

満腹になって、では、どこに向かったらいいのか・・・と考えるも、何も下調べをしていない私たちは、右に向かったらいいのか左に向かったらいいのかも本当にわからない・・・
ここも仕方がないので、より多くの人々が流れる方向へついていくことにした。

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そこから先、帰ってくるまで。

「何かに守られているのではないか」と、普段はあまりそういうことは考えたり言ったりしない夫が、私より先に言ったくらいの不思議な出来事が、このあと立て続けに起こりました。

以下、箇条書きにて。

・何も知らずに歩いていると、人々が何かを待っている様子。三脚を構えてカメラの調整もする人々も。
「何だろう・・・?」とミーハーな私は、そのままここにいることにした。
そしたら、何とその場所は花火を観るためのベストスポットだったことを、花火を見終わってから温まるために入ったお店の中で、そこで手に入れた地図を見てようやく知る始末。
私たちは、そこの最前列で夜祭りの中でも最大のイベント、花火大会の前半を全て観ることができた。

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・冷え切ってしまったし、あとはどこで何をやるかもわからないので、「今回はこれで帰るか。次はもう少し調べてから来ようね・・・」などと言い帰ろうと駅へ向かった。
途中通せんぼになって先へ進めず困っていたら、この日は観るのをあきらめていた山車が目の前を通過していくでは・・・

・「山車が観られて良かったね。じゃあ、別の道から帰るか・・・」と、方向転換して別の道で駅に向かおうとしたら、また行き止まり。今度はその場所は9トンもある大きな山車を方向転換させるスポットで、やはりこの祭りの見物(みもの)。祭りの間中、山車は秩父神社から出発して秩父の街を練り歩くのだが、この祭りの最後に「団子坂をあがる」という見物(みもの)があるのだそうだが、まさにその瞬間を私たちは偶然観たのである。大体、そういう見物(みもの)があることすら知らなかった我々・・・

(長くなるので、次回に続きます・・・)

追伸:デジタル一眼レフカメラに、気落ちしている最中にどさくさにまぎれて、望遠マクロレンズを搭載してしまいました・・・ 冬の自分へのプレゼントは他にも計画していたのがあったけれど、ほか全てをやめて、この子になりました・・・ この日初めて使ったので、まだ使い勝手が分かっていませんが、以前の花火の写真とだいぶ写りが変わるので面白いです^^ でも、花火はやっぱり肉眼が一番だな~

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Sunday, 20 August 2006

ふるさとへ帰る

夫と私は知り合ったのは、社会人になってからで仕事を通してなのだが、不思議なもので、それぞれの実家は千葉県で隣同士の市。さらに不思議なことに、それぞれの親の実家が、これまた同じ地域で、新潟県の親鸞聖人上陸の地として知られている地域。

入籍して2年たつこの春に、のんびりした我々二人らしいというか、ようやく式を挙げた。
この盆は、二人でそろって新潟に帰り、先祖にきちんと挨拶をしよう、と二人で決めていた。

今回は、私の父も現地で合流して、共に親戚廻りや、墓参り、懐かしい場所巡りなどをしてきた。

写真は、この土地で育った父が子どもの頃から、歩き回ったり、食べたりしたもの。
もちろん、私も小さい頃、よく祖父に連れられて廻って食べたものばかり。
夫にとっても、懐かしい夏休みの味と空気。

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直江津の海(海水浴といえばここ)

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五智国分寺の本堂(私が高校生の時火事で焼失。それから後に再建されたものです)

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五智国分寺の三重の塔(幸い火事は免れました。小さい頃からよくスケッチしてました)

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五智国分寺の名物 ところてん(一本箸で食べるので有名。昔ながらの味は今でも。父と夫が懐かしがって食べていました)

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五智国分寺のかき氷(普段はほとんどかき氷を食べない私もこのかき氷だけはぺろりと食べます)

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ズワイガニ(これを食べないと私の夏は始まらないし、終わらない。因みに写っている手は父のもの)

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母校の高校の目の前に広がる高田公園の蓮池(ただ、この辺りの高校出身の人なら誰でも、この池の周りを体育の時間走らされたことをよく思い出すのでは・・・のろまな私も何故か持久走だけは得意で、高校の時は学年で2位の記録を出しました^^)

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嫁ぎ先の母方の実家の裏から見える風景(真ん中辺りに、この地域特有の景観”はさ木”が見えます。まさにこういう風景を私の祖父がよく水彩で描いていました)

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私の好きな花 秋桜


このブログでも何度か書いてきているが、私自身も生まれ育った新潟の家は、残念ながら原因不明の火事で全て燃えてしまい、今はただ土地があるだけ(最後の秋桜の写真は、元家があったところのすぐ隣の池の端に咲いていたもの)。

・・・のつもりだったが、こうして訪ね歩くと、そこここに、故人となった祖父母や叔父、親戚が、この土地に今でも変わらず居るのを感じた。

不思議な感覚だった。

本家のような役割を果たしていた祖父母の家は、毎夏、親戚、近所の人、従兄弟たちなどでにぎわったのだが、その風景を今でもリアルに感じることができた。

人は亡くなれば(ましてや、想い出の家も物もなくなれば)まったくいなくなってしまうものだ・・・長年思いこんで、悲しい気持ちで過ごしてきたのだが、そうではなかったのだ。

姿・形は見えなくても、確かにいる。

この旅の途中「守られてるな・・・」と感じる瞬間もたくさんあった。
それがたまらなく嬉しかった。

私は霊感とかそういうものは全くもってないので、別世界のことについては実はあまりぴんとこない方なのだが、そんな私でも何だか不思議な感覚を味わった。

いいお盆休みを過ごせたように思う。


Friday, 23 June 2006

浄化の海

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出張で一泊柏崎に行ってきた。
前泊をして午前中で終わる仕事だった。
午前の仕事を終え、柏崎駅前に立ったとき、何とも言葉にしがたい落ち着かない気持ちに襲われて、そのまま帰るのも何故かできなくなった。

突然、海へ向けて歩き出した。
途中でおにぎりとガソリン(ビール)を買って。

海を眺めた。

自分を失っている自分に気づかされた。
一体、今の私は何を失っているのだろう。
海を眺めながら必死でその「なくした物」を探した。
だがいつまで経ってもそれは見つからなかった。

1時間ほど浜辺に居て、ふと顔を上げると、海男風のおじさんと目があった。
少し間があって、おじさんは話しかけてきてくれた。

そこから語り合うこと2時間余り。

Umifune


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何をそんなに急いでいたのだろう。
何をそんなに焦っていたのだろう。

それほど何を考える必要があったのか。

そして一体何をおびえていたのだろう。

調子が悪くなると、よる額の皺。

柏崎駅で長岡に向かう北越号を待っているときに、ふと気づいた。
春になってからずっと取れないどころかひどくなる一方だった、頭頂部・側頭部全体の緊張。
それが何と、見事にふわ~っととれていたのだ。
頭が何とも軽く、こんなに気持ちいい感覚でぼーっとできたのは、いつ以来だろう。
もうずっとなかったように思う。
額の皺も消えて、つり上がっていた目が、普段の通りパンダのようなたれ目になった。

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関東にいると「よそ者」
でも関東と北陸で半々に育った私は、北陸に帰るとそれはそれで「よそ者」

でも、日本海を眺めながら、私のルーツはやはりここなんだ、と確信できた。
何かをなくしていたのではなく、自分の中に今も確かにある大事なものが、
ただ見えなくなっていたのだ。
力も緊張も抜けた今、確かにそれを感じることができる。

そんなことができる場所を持つ私はとても贅沢な恵まれた人間なんだと思う。

「浄化の海」。確かに海にはそういう作用がある。
短かったけれども、それを体感した旅だった。

Hirugao

Neko


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